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モーナ・ルダオ : ウィキペディア日本語版
モーナ・ルダオ
モーナ・ルダオ(当て字:莫那・魯道)(1880年 - 1930年)は日本統治時代台湾における台湾原住民の霧社セデック族マヘボ社の頭目。大規模な抗日武装反乱として知られる霧社事件を起こして日本と戦ったが敗死した。名前は「父ルーダオの子であるモーナ」という意味。生年には諸説あり、当時の台湾総督府の記録は1882年としているが台湾側では1873年の説もある〔中川浩一・和歌森民男編『霧社事件 台湾高砂族の蜂起』三省堂、1980年。93頁〕。
== 出自 ==

父ルーダオ・ルヘの死後にマヘボ社の頭目を世襲した。霧社セデック族下関条約及び乙未戦争台湾を領有した日本に対して遅くまで抵抗を続け、1910年に最終的に日本に帰順するまで多くの犠牲者を出していた〔向山寛夫『日本統治下における台湾民族運動史』中央経済研究所、1987年。1083頁〕。
モーナ・ルダオの頭目としての実力は霧社セデック族の中で高く評価されていた〔『霧社事件 台湾高砂族の蜂起』94頁〕。1911年に他の台湾原住民の頭目達とともに日本観光に招かれた。これは日本側が台湾原住民側に「開化社会の様子」を教えるためであったという〔『霧社事件 台湾高砂族の蜂起』95-96頁〕。この日本観光について同胞に感想を求められたモーナは多くを語らなかったが、「タナトゥヌ(日本人)は河原の石のように多い」とだけ答えていたという。しかしその後モーナは対日蜂起を試みては、事前に当局に察知されて断念する、ということを繰り返していた〔『霧社事件 台湾高砂族の蜂起』95頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「モーナ・ルダオ」の詳細全文を読む



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