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モーラム : ウィキペディア日本語版
モーラム

モーラム()は、ラオスイーサーンタイ東北部)などにおける
ラーオ族(を除く)の伝統音楽である。モーラムとはイーサーン語あるいはタイ語であり、ラオスではラムラーオລຳລາວ)という。モーラム文化の中心地はラオスよりもむしろタイにあるため、ルークトゥン(ลูกทุ่ง タイの演歌的な歌謡曲)に含ませてしまうこともあるが基本的に別系統である。
本来は独特のリズムとケーン(笛の一種)による主旋律、裏返って途切れそうなボーカルを特徴とし、その内容は生活の貧窮や行政批判など社会・政治的なものから恋愛や人情まで多岐にわたる。
== 歴史 ==
「モー」とは「スペシャリスト」、「ラム」とは「歌」を意味し、モーラムとは本来その歌い手をさす言葉であった。
モーラムは元々、ラーオ族の精霊信仰(ピー信仰)的でシャーマン的な歌であったとされている。モーラムのジャンルのなかで特に古いとされるラム・ピーファーは、ピー・ファー(天の霊という意味で、女性の病人に憑依し治療すると信じられている)という霊を操るために用いられた。この歌い手がすなわち「モーラム」であると推測できる。
その後、ラム・ピーファーはケーンや打楽器などが入り発展を遂げ、祭りなどで演奏されたり、異性を惹きつけるために使われるようになった。18世紀ラーマ4世(モンクット)の時代まで副王()を務めた親王はこのラーオ族の演奏を好み奨励したが、親王の死後、モンクットがタイ文化を前面に出したためモーラムは暫く忘れ去られることになった。
現在ボクシング・スタジアムとして知られるラジャダムナン・スタジアムバンコク)で1946年に演奏が行われ、3000人ものラーオ族移住者が会場へ訪れたことが記録に残っている。1950年代タイ中部ではが成立したが、この影響を受けてラップのようだったモーラムの歌はメロディーのあるものに変化した。1980年代には、急激に経済が拡大したバンコクイーサーンからの出稼ぎが増え、これに伴ってモーラムも首都へもたらされた。その結果、全国テレビやラジオなどで放送されるようになり、国中へ知られることとなった。モーラムはラーオ族の音楽というよりも、むしろ地方のタイ音楽とみなされるようになり、市民権を得た。
一部では都会化したイーサーン人によって、それまでの伝統的な楽器ではなくギターキーボードを用いた、アップテンポを特色とするモーラムシンが発生した。また、ルークトゥンの影響を受けてラーオ語あるいはイーサーン語ではなく標準語で歌われるモーラムが現れ、その反対にルークトゥン歌手がモーラム的な歌を歌うということもみられた。タイ北部のルークトゥンも大きな影響を受け、モーラム的なメロディをもつ曲が発生している。
普及の一方でモーラムは、バンコクをはじめ東北部以外ではやはり「イーサーン人特有の音楽」とみなされることが多かったが、1990年代後半より、モーラムシンがイーサーン人やイーサーン以外の地域でももてはやされるようになった。この例として、代表的女性モーラム歌手と中堅のポピュラー歌手トンチャイ・メーキンタイがデュエットするといったポップス進出や、クラブシーンでのイーサーン・リミックスとよばれるモーラムの影響を大きく受けたダンス音楽の出現などが挙げられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「モーラム」の詳細全文を読む



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