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モーリス・エルゾーグ(Maurice Herzog、1919年1月15日 - 2012年12月13日)は、フランスの登山家、政治家。リヨンに生まれ、ヌイイ=シュル=セーヌで没した〔Charlie Buffet, « Maurice Herzog » , ''Le Monde'' du dimanche 16 - lundi 17 décembre 2012 p.25〕。 == 経歴 == モーリス・エルゾーグは、1919年1月15日にリヨンで生まれた。父親は、スイス国籍で、フランス外人部隊の一員であった〔。 エルゾーグは、1964年7月23日に、パリで名家ド・コセ=ブリサック家 (Maison de Cossé-Brissac) の一員であるピエール・ド・コセ・ブリサック (Pierre de Cossé Brissac) の娘マリ=ピエール (Marie-Pierre) と最初の結婚をし、やがてふたりの子ども、ローラン・エルゾーグ( Laurent Herzog、1965年6月24日 - 1999年4月26日)と、フェリシテ・エルゾーグ(Félicité Herzog、1968年〔Présentation du livre de Félicité Herzog, « ''Un héros'' », sur le site des Éditions Grasset. Consulté le 16/09/2012.〕 - )をもうけた。エルゾーグは1976年に、エリザベス・ギャンパ— (Élisabeth Gamper) と再婚し、さらにふたりの子ども、セバスティアン (Sébastien) とマティアス (Mathias) をもうけた。エルゾーグは、作家で映画制作者でもあったジェラール・エルゾーグ (Gérard Herzog) の実兄、映画監督ジャック・エルトー (Jacques Ertaud) の義理の兄であり、ジュネーヴの大噴水の設計と建設を行なった技術者オスカー・エルゾーグ (Oscar Herzog) の孫であった〔Catherine de Baecque, ''Maurice Herzog, le survivant de l'Annapurna'', Arthaud 〕。 エルゾーグは、公認された500時間を含め、飛行時間1500時間の飛行士であり、1952年から1955年までフランス山岳会 (Club alpin français, CAF) の会長を務め、1964年には仏独青少年交流公社 (Office franco-allemand pour la jeunesse) を設立して総裁となり、1970年から1994年まで国際オリンピック委員会 (IOC) 委員、後に名誉委員となった〔Mort de Maurice Herzog, le vainqueur de l'Annapurna , ''Le Figaro'', 14 décembre 2012.〕。 晩年のエルゾーグは、没するまでヌイイ=シュル=セーヌに定住していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モーリス・エルゾーグ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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