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ジャシンタ・マルト
ジャシンタ・マルト(Jacinta de Jesus Marto 1910年3月11日-1920年2月20日)は、ポルトガルのファティマにおける聖母出現の目撃者の一人で〔ジョン・ハードン編『カトリック小事典』エンデルレ書店、1986年、pp.260-261〕、カトリック教会の福者である。同じく目撃者の一人でカルメル会修道者として長命したルシア・ドス・サントスの従妹にあたり、2000年5月13日にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって、兄のフランシスコ・マルトとともに列福された〔ロイター、リスボン、2005年2月14日〕。 == 生涯 == 父はマニュエル・マルト、母はオリンピア・マルトで、当時のポルトガルでは典型的な素朴な少女で、無学ではあったがカトリックの口承伝統はよく知っており、従姉のルシアとともに羊の番をして働いていた。ルシアの手記によれば、兄のフランシスコは穏やかな性格で、やや音楽的で思索的な傾向があったのに対して、ジャシンタは優しく、少し情緒的であった。彼女は甘い歌声と踊りの才能を持っていたが、ルシアやフランシスコとともにファティマでの聖母の出現を見るようになると、それら娯楽に供することが罪の機会になると考え、音楽も踊りも止めるようになった。こうした体験をするにつれての彼らの基本的な性格は、共通点を持っている。兄のフランシスコは、世界の罪のためにイエズス様(イエス・キリスト)を慰めたい、と一人で祈ることを好むようになり、ジャシンタは聖母の三度目の出現時の、地獄の恐ろしい幻視の影響を非常に強く受けた。彼女は、聖母が導いたとして、痛悔と償いを通しての罪な人の回心を願う必要を確信するようになった。三人の子供たち、中でもフランシスコとジャシンタは厳しい苦行をその死まで実践した〔Lucia Santos, Memoir 2, p. 94 in Fatima in Lucia's Own Words .〕。なおジャシンタの遺体は死後、1935年と1951年の二度にわたって掘り返されたが、顔の箇所はまったく腐敗を免れていた〔Blesseds Jacinta and Francisco: Finalization of Canonization Process is Near The Fatima Network,2006.9.6〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャシンタ・マルト」の詳細全文を読む
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