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ヤス・ウラノ : ウィキペディア日本語版
ヤス・ウラノ

ヤス・ウラノ1976年2月19日 - )は、日本男性プロレスラーDDTプロレスリング所属。
身長174cm、体重87kg。埼玉県所沢市出身。
== 経歴 ==

* 学生時代は日本大学文理学部文理レスリング連盟に所属し、「ソクラテス浦野」というリングネームで学生プロレスラーとして活動していた。大家健は日大の後輩。
* プエルトリコに渡りKAIENTAI DOJOの一期生として練習を積んだ。
* 2000年
 * 11月19日Hi69を相手にデビュー。他の選手にさきがけて帰国しFMW全日本プロレスに参戦していた。
* 2002年
 * 4月20日、KAIENTAI DOJO旗揚げに参加。
* 2003年
 * 5月24日UWA世界ミドル級王座を獲得した。
* 2004年
 * バジリスクメンバーとして小幡優作を襲撃したり、ときわ苑集会に乱入したり、山縣優に接吻しまっくたりと悪の限りを尽くす。
* 2005年
 * JOEハンサムぶりに目を付け、引き立て役に。
* 2006年
 * 11月14日に開催されたGPWA興行にバジリスクのメンバーで出場した。
 * 12月31日に開催されたインディーサミットに出場した。
* 2007年
 * 5月19日WMFに参戦しミスター雁之助藤田峰雄らと共にKHM結成。以降ユニットの主要メンバーとしてレギュラー参戦。
 * 6月8日、KAIENTAI DOJOを退団すると発表。7月8日の大会まで参戦。
 * 7月5日、ミスター雁之助自主興行「鬼神道」に、KHM総帥・藤田のセコンドとして参加。
 * 7月9日DDTに新木場大会よりシリーズ参戦。
 * 8月8日サムライTVの番組でDDTテックの社員(レスラーとしての立場は依然としてフリーのまま)になったことが明らかになった。
* 2008年
 * 2月3日、DDT後楽園ホール大会のKO-D無差別級選手権次期挑戦者決定ロイヤルランブルで優勝。3月9日に現王者であり旧友であるHARASHIMAとタイトル戦を行うことが決定。
 * 3月29日(深夜興行だったので正確には30日)DDT新木場大会で、男色ディーノからアイアンマンヘビーメタルのベルトを奪取。
 * 5月6日、後楽園ホールで行われたマッスルハウス6に参戦。自分に恨みを持つ(と後輩の大家健から紹介された)日大の現役学プロレスラー数名と、各1分という短い時間ながら拳を交えた。
 * 7月18日に自身初の自主興行「ヤスうけあい」を開催。
 * 8月7日DDT戦うビアガーデンにて、タッグパートナーであるKUDOと二人でプロデューサーを任される。内容は、古巣の盟友MIYAWAKIを同じく親交の深いKUDOや矢郷良明と共にイジり倒す(MIYAWAKI自身は感謝の意を述べた)ものだった。
 * 10月13日DDT札幌天下三分の計メインイベントで、「This is KAIENTAIルール」のレフェリーとして登場。RAVEカラーのK-DOJOジャージを着て90秒間試合を裁いた。
 * 10月26日のDDT新宿FACE大会で姿を見せた謎のイタリア人、「PIZAみちのく」になぜか激しく反応。高梨将弘率いる反乱軍のメンバー「反乱ソクラテス」として、DDTマットでイタリアンフォーホースメンとの抗争を開始。しかし抗争の決着が付かぬまま、11月30日DDT後楽園大会で「もうやりたくない」とこの抗争からの離脱を宣言。以来イタリア軍絡みのカードは組まれていない。
 * 12月22日に二回目の自主興行「ヤスみじかん」を開催。
* 2009年
 * 1月3日のマッスルハウス7に出場。自主興行にて対戦した澤宗紀とタッグを結成し、ワンデイトーナメントに参戦した。(ちなみに当初予定されていた、大家健との「日大殺法コンビ」はストーリーの展開上ご破算になっている。)
 * 1月16日にDDTとの契約更改にて正式に入団契約。2月よりDDT所属選手となることが決まった。
 * 8月23日、DDT両国国技館大会のKO-Dタッグ選手権4WAYマッチにKUDOとのタッグで参戦。ここでも「PIZAみちのく」になぜか激しく反応。いつのまにか入手したイタリアンパウダーでPIZAの視界を奪うとそのまま首固めでKO-Dタッグを奪取した。これ以降、2010年1月現在で5度の防衛に成功している。
* 2010年
 * 10月15日プロレスリング・ノア日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に初参戦。初日、小川良成からフォールを奪う大金星を獲得した(タッグパートナーはディック東郷)。
* 2014年
 * 自主興行「部屋とバンダナと私」を開催。火野裕士とメインでシングルで対戦。タンクトップを脱いで戦うも敗北。
* 2015年
 * 自主興行「ヤス大サーカス2015」を開催。同期のHi69とタッグを組みHARASHIMA&アントーニオ本多を相手に対戦するも敗北。試合後には参戦した選手に一人ずつ感謝の言葉を述べるが福田洋にのみ「なにもない」と突き返した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヤス・ウラノ」の詳細全文を読む



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