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ヤマニンアラバスタは日本の元競走馬。 2005年に中央競馬で新潟記念、府中牝馬ステークスを制した。 == 経歴 == === 戦績 === 2003年、8月2日に新潟競馬場でデビューし、初出走は7着だった。その後デビュー3戦目で初勝利を挙げた。その後、赤松賞を勝利するものの、以降クラシックに出走するなどし、オークスでは3着となったがなかなか勝ちきれないでいた。紫苑ステークスでは、約10ヶ月ぶりの勝利を飾ったかに見えたが、5着降着となり、またも勝利に見放された。 2005年の夏、1000万下に降級した直後の佐渡特別で約1年半8ヶ月ぶりの勝利を収め、続いて格上挑戦で出走した新潟記念を制し重賞初勝利を挙げる。続く府中牝馬ステークスも制し重賞を2連勝するが、エリザベス女王杯で8着となる。 2006年は中山牝馬ステークスで3着に入り、ヴィクトリアマイルに挑戦するが12着と大敗。その後、新潟記念の後に怪我をし約1年間近くの休養に入る。 2007年は関屋記念で復帰し、3年連続出走となる新潟記念で3着となるものの、続く府中牝馬ステークスで10着に敗れる。次のアルゼンチン共和国杯では、初めての2500mの距離でのレースながら、5着に入った。その後、愛知杯に出走。しかし直線で伸びきれず9着に敗れた。 2008年は中山金杯に出走するが12着、白富士ステークスでは8着、中山牝馬ステークスでは9着、関屋記念では12着、4年連続出走の新潟記念でも12着、府中牝馬ステークスでは11着、アルゼンチン共和国杯では10着だった。 結局2005年の府中牝馬ステークス以来勝ち星が無いまま、2008年11月12日に11月13日付で競走馬登録を抹消し引退することが発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤマニンアラバスタ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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