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ヤマニングローバル
ヤマニングローバルは日本の競走馬、種牡馬。3歳時(旧表記)に将来を嘱望されながら致命的な骨折を負い、そこから復帰後に重賞競走で通算3勝を挙げた。三冠馬ミスターシービーの初年度産駒である。 == 経歴 ==
1989年9月、武豊を鞍上に阪神競馬場で初戦を迎える。デビュー前から評判〔瀬戸慎一郎『悲劇のサラブレッド』(講談社、1993年)202頁。〕となっており、当日は単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持された。ここを2着に3馬身差を付けて優勝すると、次走も連勝。迎えたデイリー杯3歳ステークスでは、重賞初出走ながら単枠指定された。ここも好位から抜け出すと、最後は武が手綱を抑えるほどの余裕を見せ〔『悲劇のサラブレッド』204頁。〕ながら2着に2馬身近い差を付けて優勝。重賞初勝利を挙げた。優勝タイム1分23秒1はレコードタイムから0.2秒差という好タイムだった。 しかし、入線後に武が馬を止めようとした際、ヤマニングローバルは馬場の窪みに足を取られ、バランスを崩した際に右前脚を骨折。その場で馬運車に収容された。検査の結果、右前種子骨が縦真二つに割れており、通常ならば安楽死の措置が取られる重傷であった〔管理した浅見国一は、「うちでなければ殺処分だった」と回想している。(日本中央競馬会『優駿』2000年5月号 39頁)〕。この骨折に武が「来年のGIを4つ(クラシック三冠、有馬記念)損した」と発言する〔市丸博司編『サラブレッド怪物伝説・平成版』(廣済堂文庫、1997年)220頁。〕など期待も非常に大きかったことから、陣営は治療を選択。割れた骨を2本のボルトで繋ぐ手術が行われ、以降は復帰に向けて厩舎内での回復が図られた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤマニングローバル」の詳細全文を読む
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