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ヤマノブリザード
ヤマノブリザードは日本の競走馬。おもな勝鞍は札幌2歳ステークス(JRAGIII) 、九州大賞典。 == 戦績 == 2001年、ホッカイドウ競馬でデビュー。JRA2歳認定競走であるフレッシュチャレンジ(札幌競馬場・地方競馬開催)にて初出走初勝利。その後、3戦目のターフチャレンジ1(3着・旭川競馬場)でクローバー賞の優先出走権を得たため中央競馬 (JRA) へ挑戦し、8番人気ながらクローバー賞を勝利。続く札幌2歳ステークスも勝利し、暮れの朝日杯フューチュリティステークスへの優先出走権を得る。その後、門別競馬場で1走し中央へ移籍。移籍初戦の朝日杯フューチュリティステークスでは惜しくも2着。1着はアドマイヤドンであった。 2002年からは苦難の道を辿ることとなる。クラシック路線を歩んだが、皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞に出走するも、それぞれ10着、9着、9着と敗退する。結局、この年は未勝利に終わった。 2003年も勝ち星に恵まれず、2004年のエイプリルステークスで1年6ヶ月振りの勝利を手にする。その後も低迷の一途を辿り、障害競走に出走したこともあった(2005年3月20日、障害未勝利戦(10着))。 2006年2月の白富士ステークスを最後に、佐賀競馬場へ移籍する。移籍先の川田孝好調教師は、JRAの川田将雅騎手の父親である。4月の転入初戦を8馬身差で圧勝、5月の2戦目も勝ちと連勝した。その後はダートグレード競走を転戦したりするものの、なかなか勝てずにいたが地元に戻ると11月の九州大賞典(佐賀競馬場)を勝利した。その後、調教中に屈腱炎を発症したため放牧に出されていたが、2007年10月に放牧先の牧場で腸ねん転を起こし死亡した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤマノブリザード」の詳細全文を読む
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