|
ヤマハ・ブラザーズは、プロレスラー星野勘太郎と山本小鉄のタッグチーム。 == 概要 == 1967年1月、共にアメリカ遠征に出る。テキサス州ダラスなどで力強いファイトを展開し、小型でもパワフルであると評判だったヤマハのオートバイにあやかって名付けられた「ヤマハブラザーズ」のタッグチーム名で名を上げた。 日本プロレス崩壊後、新日本プロレスに活動の場を移し、タッグを復活させて活躍、1979年1月には国際プロレスのグレート草津、アニマル浜口組からIWA世界タッグ王座を奪取した。当時の新日本には全日本プロレスのアジア・タッグ王座のような中堅・軽量級用のタッグタイトルが存在していなかったこともあり、国内でのヤマハのタイトル歴はIWA世界タッグが唯一である。 1980年に山本小鉄が引退した為組む事はなくなったが(引退試合はヤマハVS大位山勝三・鶴見五郎)、1992年3月1日に小鉄が1日限定復帰し、12年ぶりにタッグを復活させた。 2003年5月1日、新日本の東京ドーム大会で引退した選手を中心に行われたOBバトルロイヤルに出場した際は、当初レフェリーだった山本小鉄も星野勘太郎と共闘し、13年ぶりのタッグ復活となった。さすがにコンビネーションの上手い所を見せて二人で最後まで勝ち残り「ヤマハは二人で一つ、二人で優勝」と発言して拍手を浴びた。2010年に2人共に死去したのでこれが「ヤマハブラザーズ」見納めとなってしまった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤマハ・ブラザーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|