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ユスティニアノス2世 : ウィキペディア日本語版
ユスティニアノス2世[ゆすてぃにあのす2せい]

ユスティニアノス2世“リノトメトス”ギリシア語:、668年? - 711年11月7日)は、東ローマ帝国ヘラクレイオス王朝最後の皇帝(在位:685年 - 695年705年 - 711年)。コンスタンティノス4世の長男。ラテン語形だとユスティニアヌス2世となる。「リノトメトス」は鼻を削がれたことから「鼻なしの」を意味するあだ名。キプロス島で生まれたという伝説がある。
== 生涯 ==

=== ウマイヤ朝との講和 ===
685年、父の死により即位する。彼が即位した時、ウマイヤ朝は第二次内戦の最中であった。ユスティニアノスはレバノン山地にいた原住民のマルダイテス人を利用してシリアでゲリラ活動を行わせた。さらに688年にはキレナイカ地方のバルカを艦隊が急襲してイスラームの指揮官を殺戮している。これらに苦慮したウマイヤ朝のカリフアブドゥルマリクは688年にユスティニアノス2世と和睦を結んだ。この時マルダイテス人の多くは小アジア半島南部へ移住させされた。またキプロスはこれ以降東ローマ帝国とイスラーム勢力の共有地となる。この状態はバシレイオス1世時代の一時期を除いて10世紀後半まで続いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユスティニアノス2世」の詳細全文を読む



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