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反ユダヤ主義(はんユダヤしゅぎ)とは、ユダヤ人およびユダヤ教に対する敵意、憎悪、迫害、偏見を意味する〔「反ユダヤ主義」世界大百科事典 第2版〕。 旧約聖書のエステル記に離散したユダヤ人(ディアスポラ)に対する反ユダヤ的態度がすでに記述されており、 19世紀以降に人種説に基づく立場は反セム主義(はんセムしゅぎ、)またはアンティセミティズムとも呼ばれる〔。 == 反ユダヤ主義の歴史 == *392年 - ローマ帝国、キリスト教以外の宗教を禁止。 *8世紀 - トルコ系ハザール王国国王と高官がユダヤ教に改宗。 *839年 - フランク王国のルートヴィヒ(皇帝ルートヴィヒ1世、ルイ1世)敬虔王(788年 - 840年)の宮廷助祭ボード (Bodo) がユダヤ教に改宗。 *960年 - コルドバのラビ・ハスダイ・イブン・シャープルート、ハザール王国に書簡を送る:ユダヤ教復興に期待。 *1096年 - 十字軍の始まり。ユダヤ教徒も弾圧、迫害を受ける。 *1348年 - ジュネーヴにて、翌年にはベルンにて黒死病(ペスト)のスケープゴートとしてユダヤ人迫害が発生。 *1413年-1414年 - ベネディクトクス13世、カタルーニャのトゥルトーザで69回に亘る会議を開催、ナザレのイエスがメシアであることをユダヤ教徒に説得しようとしたが、失敗。のち公開勅書により、キリスト教徒がタルムードを研究することを禁止。 *1453年 - オスマン帝国軍、コンスタンティノポリス占領。多くのユダヤ人は“新都市”に移住した。ここでは、ムスリムが絶対的な優位を占め、キリスト教徒、ユダヤ教徒は差別を受けたものの、概ね共存が維持された。 *1516年 - ヴェネツィアにユダヤ教徒強制居留地(「ゲットー」)が設置される。 *1789年 - フランス人権宣言 *1796年 - フランスのナポレオン・ボナパルトによるカンポ・フォルミオ条約。この条約後、ゲットーが解体された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「反ユダヤ主義」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Antisemitism 」があります。 スポンサード リンク
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