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ユダヤ属州 : ウィキペディア日本語版
ユダヤ属州[ゆだやぞくしゅう]

ユダヤ属州(、、現代ヘブライ語:Yehuda、)は、現代のパレスチナイスラエルにあたる地区に設置されていたローマ帝国属州である。名称は紀元前6世紀に存在したユダ王国にちなむ。なお、ラテン語の原音表記による「ユダエア属州」とも称される。
ユダ王国の後、この地域は、新バビロニアアケメネス朝セレウコス朝およびプトレマイオス朝ハスモン朝の支配を受けてきた。第三次ミトリダテス戦争におけるローマの勝利(紀元前63年)以降、ローマはこの地域に干渉を始め、紀元前1世紀にハスモン朝がローマの保護国(クリエンテス)となり、やがてローマ帝国の属州となった。
ユダヤ属州では、3回の大きな内乱が発生した。第1次ユダヤ戦争66年 - 70年)、キトス戦争115年 - 117年)、バル・コクバの乱132年 - 135年)である。バル・コクバの乱の後に、属州名がシリア・パレスティナ:en:Syria Palestina)に改名された。
==沿革==

=== ローマの保護国 ===
共和政ローマによるこの地域の干渉は、紀元前63年第三次ミトリダテス戦争が終結し、ローマがシュリア属州を設立したときに始まった。この戦争でミトリダテス6世を王に擁くポントス王国は敗北し、ローマのグナエウス・ポンペイウスはローマの東方地域の支配を確実にするためにシュリアに残った。
当時のユダヤ地方は不安定だった。ハスモン朝が支配していたが、女王サロメ・アレクサンドラが亡くなったばかりで、その息子ヒュルカノス2世:en:Hyrcanus II)とアリストブロス2世:en:Aristobulus II)は反目して内戦状態だった。紀元前63年、アリストブロス2世はエルサレムにおいて兄ヒュルカノス2世の軍に包囲された。アリストブロスは、ポンペイウスからこの地域を任されているマルクス・アエミリウス・スカウルス(:en:Marcus Aemilius Scaurus (praetor 56 BC))に使節を送り、大量の贈り物を持たせて助力を願った。ポンペイウスはこの要請に応えて彼を救出した。しかし、後になってアリストブロスはスカウルスを強奪したと訴えたため、スカウルスの義理の兄弟だったポンペイウスは、その報復としてヒュルカノスの方を国王および大祭司(:en:Kohen Gadol)として認めた。
ポンペイウスがユリウス・カエサルに敗れると、ヒュルカノスに代わってその武将アンティパトロス:en:Antipater the Idumaean)が後を継ぎ、ローマによるユダヤ支配体制の初代長官となった。紀元前57年から紀元前55年の間に、シュリア属州総督アウルス・ガビニウスはハスモン朝の領域を分割し、ガリラヤと、5つの自治組織(サンヘドリン)を持つサマリア・ユダヤを設置した〔Antiquities of the Jews 14.5.4 : 「彼は5つの評議会()を設置し、それぞれが同じ人数の住民を治めるように分割した。まずはエルサレム、そしてガダラ(:en:Umm Qais)、アマサス(Amathus)、エリコ、最後にガリラエのセフォリス(:en:Tzippori)である。」 Jewish Encyclopedia: Sanhedrin : 「ヨセフスが最初に評議会()を活用したのはシリア属州のローマ総督ガビニウスのとき(紀元前57年)である。ガビニウスは、従来の議会やパレスチナの統治組織を廃止し、属州領域を5つに分割して、それぞれの上層にサンヘドリンを設置した("Ant." xiv. 5, § 4)。」〕。
紀元前44年にカエサルが殺され、同じくアンティパトロスも殺された。紀元前40年に、アンティパトロスの息子でエドム人ヘロデ大王が、ローマの元老院からユダヤ王と公認された〔Jewish War 1 .14.4: マルクス・アントニウス 「...そして、断固として彼をユダヤ王にしようとした... ヘロデを王に擁くことで、彼ら自身がパルティアに対して優位に立てるのだと、彼らに語った。その結果、彼らは賛成票を投じた。議会の後、アントニウスとアウグストゥスはヘロデと共に外に出た。執政官や他の長官たちが彼らを出迎え、ローマの神々に生贄を捧げ、カピトリーノで授位を行った。アントニウスも、ヘロデの王としての初日を祝して宴会を催した。」〕。
ヘロデは、紀元前37年にユダヤの軍隊を掌握し、ハスモン朝の血をひくものを抹殺した。またヘロデは、大きな港湾都市カイサリアを建設した。ヘロデは紀元前4年に死去し、王国はヘロデの息子達に受け継がれて4分割統治(テトラルキア)された。
ヘロデの息子の1人ヘロデ・アルケラス(:en:Herod Archelaus)は、ユダヤ支配で失政を重ね、住民の訴えを受けたローマ皇帝アウグストゥスによって6年に解任された。別の息子ヘロデ・アンティパスは、ガリラエおよびペレアの分封領土を紀元前4年から39年まで支配し続けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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