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ユッスー・ンドゥール : ウィキペディア日本語版
ユッスー・ンドゥール

ユッスー・ンドゥール(Youssou N'Dour, 1959年10月1日 - )は、セネガル歌手セネガル歌手ンドゥール氏、大統領選で現職敗北なら音楽再開へ 、ロイター日本版サイト、2012年3月2日閲覧。〕。
セネガルポピュラー音楽の大御所。祖国セネガルの伝統音楽に、さまざまな民族音楽や欧米のポップ・ミュージックのエッセンスを取り入れ、独自の音楽世界を展開している。2004年、米国のローリング・ストーン誌は、「アフリカにおいて生存する最も著名な音楽家であろう」と賞した。セネガルの伝統的音楽家家系グリオ(語り部)の血を引く彼は、祖国の楽器ジャンベを用いた伝統音楽から、カリブ音楽やその他様々なジャンルの音楽を融合したンバラという音楽ジャンルを確立し、これまで20年以上に渡り、自身のバンド、 () と共に活動を続けている。
== 略歴 ==

1959年セネガルダカール生まれ。西アフリカの代表的な民族であるセレール族出身で、古くから伝わる音楽や思想を伝承する「グリオ」の家系に生まれ育つ。10代から音楽活動を始め、12歳から数年間は、1970年代初頭のダカールで最も人気があった (Star Band) で活躍した。1979年、 () を結成。 1980年頃からアフリカの隣国やフランスなどへのツアーやレコーディングを開始する。1982年にシュペール・エトワール・ドゥ・ダカールを結成。1980年代に入ると、1982年に英ヴァージン・レコードと契約し、ピーター・ガブリエルと出会い、ライヴや彼のアルバム『So (アルバム)|So]]』(1986年)での共演を機に注目を集めるようになった。『ネルソン・マンデーラ』(1986年)をリリース。『ザ・ライオン』(1989年)や『セット』(1990年)はヴァージン傘下のガブリエルが関わっているリアル・ワールド・レコードからのリリースとなる。また、ポール・サイモンスティングなど有名ミュージシャンとの共演で、世界的アーティストとしての地位を確立する。
1992年には、映画監督スパイク・リーがソニー傘下で設立したレーベル「40エイカーズ&ア・ミュール・ミュージック・ワークス」に移籍し、『アイズ・オープン』をリリース。同アルバムは、ンドゥールにとって初めてのグラミー賞の候補作品となった〔。1994年に発表した『ザ・ガイド』、2000年に発表した『ジョコ』、2002年に発表した『ナッシングス・イン・ヴェイン』についてもグラミー賞の候補作品となった。
1998年、ワールドカップ・サッカー・フランス大会の公式アンセム「勇者たちの庭」("La Cour des Grands") を制作したほか、同年、アニメーション映画『キリクと魔女』の映画音楽を手掛け、日本でも2003年夏にスタジオジブリ配給で公開された。日本ではさらに「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」がホンダ・ステップワゴンのTV-CMソングや『笑う犬の発見』のオープニングテーマに起用された。
2003年、反戦の意を込め、全米ツアーをキャンセルした。2004年、アルバム『エジプト』で第47回グラミー賞(ベスト・コンテンポラリー・ワールドミュージック・アルバム)受賞。2006年ワールドカップ・サッカー・ドイツ大会ではファイナル前イベントのプロデュースを行なった。同年夏には、〈東京の夏〉音楽祭にてユッスーとスーパー・エトワール・ドゥ・ダカールによるフルステージ来日公演が10年ぶりに果たされた。
スティーヴィー・ワンダーなど、世界的なミュージシャンからの信頼も厚い。日本の音楽家では、DREAMS COME TRUE坂本龍一の作品に参加したこともある。社会的なメッセージ色の濃い作品、LIVE 8などのチャリティー企画への参加、ユニセフ親善大使としての活動など、確固たる信条に貫かれた彼の言動は、音楽界のみならず、社会的にも大きな影響力を持つ。現代のグリオとして、音楽を通じて社会にコミュニケートする姿勢は「歌うジャーナリスト」とも称される。2007年には、アメリカのタイム紙による世界で最も影響力のある100人に選ばれている。
2011年11月より政治活動に専念するため音楽活動を停止し、アブドゥライ・ワッド大統領批判の急先鋒に立った〔。大統領選への立候補も申請されたが署名数が足りず申請を却下されていた〔。対立候補のマッキー・サル元首相を支援する立場にたったンドゥールは、ワッド大統領が選挙に敗れた場合には音楽活動に復帰すると発表した〔。
サルが大統領選に勝利し、ユッスーは2012年4月にセネガルの文化観光大臣に任命される。
2013年には、音楽界のノーベル賞ことポーラー音楽賞を受賞した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユッスー・ンドゥール」の詳細全文を読む



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