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ユナイテッド・アーティスツ(英語:United Artists Entertainment LLC、略称:UA)は、かつてはアメリカ合衆国の映画配給会社・映画スタジオのひとつであったが、現在は映画会社「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー」に属している。 日本では本来の社名の他「ユナイト映画」の名称でも知られる。 == 沿革 == * 1919年 俳優のチャールズ・チャップリン、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、監督のD・W・グリフィスによって創立される。 * 彼らは、大手会社の制約に息苦しさを感じ、創造の自由を得て自らの出演作を製作・配給に至る。初期のUAは、製作者の協同組合という性格を持っていた。 * チャップリン、ピックフォード、フェアバンクス、グリフィスを同社設立に導いたのは当時パラマウントの役員だった、ベンジャミン・シュルバーグだった。彼は元財務長官のウィリアム・マカドゥーを社長に据えて経営を始めるが、利益はこの5人に分けられてしまうことを悟り、彼らを利用した経営方針を取り始める。間もなくマカドゥーは去り、その後、同社の経営陣は頻繁に交代することになった。1930年代は独立系のサミュエル・ゴールドウィン、英国の大物アレクサンダー・コルダの作品を配給し、両者ともUAの主要株主だった。1940年代に入って彼らが手を引くと同社は低迷期に突入。また、他のメジャー会社と違って映画スタジオを持たなかったのがハンディになり、低迷に追い打ちをかける。 * 1950年 アーサー・クリム(Arthur Krim)とロバート・ベンジャミン(Robert Benjamin)が、メアリー・ピックフォードとチャーリー・チャップリンから買い取り、同社を立て直した。 1950年代にはスタジオ・システムが崩壊したために、配給網を統一して1950―1970年代は隆盛を極めた。 アーサー・クリムとロバート・ベンジャミンはその後それぞれジーン・ハーショルト友愛賞を受賞している。 * 1958年 アソシエイテッド・アーティスツ・プロダクション(a.a.p.)を吸収。ワーナー・ブラザーズの1948年以前の作品(『カサブランカ』、『ロープ』など)や『ポパイ』などの版権を入手。 * 1967年 複合企業「トランス・アメリカ」の傘下となる。 * 1973年 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー作品の配給権を取得。 * 1978年 アーサー・クリム、ロバート・ベンジャミンらが退社してオライオン・ピクチャーズを設立。 * 1981年に製作した『天国の門』が大赤字になったため、経営不振によりMGMに買収され、MGM/UAとなる。 * 1985年 テッド・ターナーがMGMのオーナーカーク・カーコリアンからMGM/UAを買収するが、ターナーはすぐにUAの全権利とMGMの商標をカーコリアンに再売却する。その結果、ターナーはMGMとa.a.p.のライブラリーを手にし、MGMは実質的にUAの後継会社となる。 * 1985年以前のMGM作品(UA作品の続編を除く)はターナー・エンターテインメント/タイム・ワーナー社が所有している。 * 1954年以前の作品は「7年ルール」により公開から7年後に版権を製作指揮者(チャーリー・チャップリン、ウォルター・ウェンジャー等)に売却する場合が多く、更に転売された場合も多い。このため、1954年以前のUA作品で現在も版権がMGMに残るのは『嵐が丘』など少数に留まる。また、パブリックドメインとなった作品も少なくない(『白い恐怖』、『凸凹猛獣狩』、『三人の狙撃者』など)。 * 2006年 俳優トム・クルーズがメトロ・ゴールドウィン・メイヤーと提携し、ユナイテッド・アーティスツの実質的な経営者として映画製作を手掛けることが発表される。クルーズのビジネスパートナーであるポーラ・ワグナーがCEOに就任。 * 2008年 ポーラ・ワグナーが退社。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユナイテッド・アーティスツ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 United Artists 」があります。 スポンサード リンク
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