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ユヌス・カヌニ : ウィキペディア日本語版
ユーヌス・カーヌーニー

ムハンマド・ユーヌス・カーヌーニー(محمد یونس قانونی、英:Yunus Qanuni、1957年 - )は、アフガニスタンの政治家。前アフガニスタン第一副大統領。前人民議会議長。元内務大臣。新アフガニスタン党党首。
==経歴==
パンジシール州出身。タジク人。ムハンマド・ユースフの息子。
貴族学校「アブ=ハニファ」(1978年)、カーブル大学神学部を卒業。
1992年~1995年、アフガニスタン・イスラム国の政治局長、国防次官(国防相はアフマド・シャー・マスード)。1995年~2001年、北部同盟の内務相。
2001年11月、ボンで開かれたターリバーン後のアフガニスタンに関する会議において、北部同盟代表団の団長を務める。この会議で、ユーヌス・カーヌーニーは、内務大臣になるものとされた。
2001年12月、ハーミド・カルザイ暫定政権の内務大臣として正式に承認。2002年5月1日、移行政権の中等教育相に任命(6月19日にロヤ・ジルガにより承認)。2002年6月末から、閣僚級の安全保障担当大統領特別顧問。
2004年の大統領選挙では、カルザイの対抗馬となり、16.3%を得票し2位であった。2004年12月、野党「新アフガニスタン」結成を発表し、2005年3月、12の野党を統合する政治連合「アフガニスタン国民理解戦線」を率いた。
2005年から人民議会議員。同年12月21日から人民議会議長。
2014年3月、死去したムハンマド・ファヒームの後任として第一副大統領に指名された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユーヌス・カーヌーニー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yunus Qanuni 」があります。



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