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ユルゲン・メルツァー(Jürgen Melzer, 1981年5月22日 - )は、オーストリア・ウィーン出身の男子プロテニス選手。4大大会では、2010年全仏オープンシングルスベスト4、2010年ウィンブルドン選手権と2011年全米オープン男子ダブルス、2011年ウィンブルドン選手権混合ダブルスでの優勝がある。これまでにATPツアーでシングルス5勝、ダブルス13勝を挙げている。左利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス6位。弟のもプロテニス選手である。 == 来歴 == 父親のルドルフ・メルツァーは、彼の現住地ドイチュ・ヴァグラムの市長を務めている(現職)〔Rudolf Melzer - Reisetagebuch-Redakteure - reiseaktuell.at 〕。ユルゲンは9歳からテニスを始め、1999年のウィンブルドンジュニア男子シングルス優勝を経てプロ選手に転向した。プロ入り後、直ちに男子テニス国別対抗戦・デビスカップのオーストリア代表選手に選ばれる。2000年のウィンブルドンで4大大会に初出場。2002年のアメリカ・ニューポート大会で男子ツアーのダブルス決勝戦に初進出し、翌2003年のニューポート大会でシングルス決勝に進んだが、彼は長い間ツアー決勝戦で単複ともに不運が続いた。 2005年、メルツァーはダブルスの分野で成績を伸ばし、全豪オープンベスト4・全仏オープンベスト8を経て、10月のロシア・サンクトペテルブルク大会で男子ツアーダブルス初優勝を達成した。全豪オープンで組んだパートナーはグレイドン・オリバー(アメリカ)であったが、それ以外は大半のトーナメントで同じオーストリアのユリアン・ノールとペアを組んだ。ノールはダブルスのスペシャリストとして知られ、2004年ウィンブルドン男子ダブルス準優勝の実績を持つ人である(後に2007年全米オープン男子ダブルスで優勝した)。2006年9月、ユルゲン・メルツァーはルーマニア・ブカレスト大会の決勝戦でフィリッポ・ボランドリ(イタリア)を 6-1, 7-5 で破り、ようやく宿願のシングルス初優勝を達成した。この年はノールと組んで6大会のダブルス決勝戦に進み、そのうち2大会で優勝したが、10月に3週連続準優勝の辛酸をなめたことがある。 その後のツアー成績は、2007年・2008年とシングルスの準優勝が1度ずつあり、2008年6月にオランダ・スヘルトーヘンボス大会のダブルスでトーマス・ヨハンソン(スウェーデン)と組んで優勝した。 2009年の全豪オープンで、メルツァーは2007年全米オープン以来1年ぶりのシード選手に入った。第31シードとして、1回戦で日本の錦織圭を 7-5, 6-2, 6-1 で圧倒する。4年ぶり3度目の3回戦では第4シードのアンディ・マリー(イギリス)に 5-7, 0-6, 3-6 で完敗した。この年はユリアン・ノールとのダブルスで、日本のジャパン・オープンを含むダブルス2勝を挙げている。 2010年のメルツァーは全仏オープンシングルス準々決勝で第3シードのノバク・ジョコビッチ(セルビア)を 3-6, 2-6, 6-2, 7-6, 6-4 で破り初めてベスト4に進出する(これまでのメルツァーは3回戦進出が最高であった。)。ウィンブルドンではフィリップ・ペッシュナー(ドイツ)と組んだダブルスで初優勝した。 2011年の全豪オープンでも4回戦に進出し、大会後のランキングでシングルス10位となり、初めてのトップ10入りと、シングルス・ダブルス同時のトップ10入りを果たした。ウィンブルドンでは前年優勝のダブルスでは準々決勝で敗退したが、イベタ・ベネソバ(チェコ)と組んだ混合ダブルスでエレーナ・ベスニナ(ロシア)&マヘシュ・ブパシ(インド)組を 6-3, 6-2 で破り優勝した。全米オープンではペッシュナーと組んだダブルスの決勝でマリウシュ・フィルステンベルク&マルチン・マトコフスキ組に 6–2, 6–2 で勝利し、4大大会ダブルス2勝目を挙げた。 メルツァーはオリンピックのオーストリア代表選手としても、2004年アテネ五輪・2008年北京五輪・2012年ロンドン五輪の3度出場経験があり、北京五輪のシングルスでラファエル・ナダルとの準々決勝まで勝ち進んだ。 メルツァーは2012年9月14日に2011年ウィンブルドン選手権混合ダブルス優勝パートナーのイベタ・ベネソバと結婚した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユルゲン・メルツァー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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