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ユルス・アントニウス : ウィキペディア日本語版
ユッルス・アントニウス
ユッルス・アントニウスIullus Antonius(Iulus、JulusまたJullusとも)、紀元前43年 - 紀元前2年)は、古代ローマの人物。マルクス・アントニウスとその3番目の妻フルウィアの次男。執政官アジア属州総督などを歴任した。アウグストゥスの娘ユリアの愛人として知られる。
同母兄にマルクス・アントニウス・アンテュッルス。妻は義妹(継母小オクタウィアの子)でもある大マルケッラ。ほか多数の異父兄弟、異母兄弟、義理の兄弟がいる(後述)。
== 生涯 ==

=== 幼年時代 ===

ローマに生まれたユッルスと兄のマルクス・アンテュッルスは、波乱に満ちた少年時代を送ることとなる。
ユッルスの生まれた紀元前43年の10月、父アントニウスは、それまで対立していたオクタウィアヌスらと手を組み、第2回三頭政治を成立させた。それに伴いオクタウィアヌスは、アントニウスの義理の娘で、ユッルスには異父姉(母フルウィアと最初の夫との子)にあたるクロディア・プルケラと最初の結婚をすることとなったが、彼女と床をともにすることのないまま紀元前41年に離婚した。
フルウィアはこのことを一族に対する侮辱と捉え、ユッルスの叔父であるルキウス・アントニウスとともにイタリアで蜂起する(ペルシアの戦い)。フルウィアとルキウスの軍は一時ローマを占領したものの、結局ペルシア(現在のペルージャ)に後退した。紀元前41年から翌40年にかけての冬にはオクタウィアヌスによる兵糧攻めに遭い、降服に追い込まれる。フルウィアはシキュオンに脱出するが、そこで病を得て急死した。
フルウィアの死の同年、父アントニウスはオクタウィアヌスの姉小オクタウィアを妻に迎える。この結婚は元老院の斡旋による政略結婚で、当時オクタウィアは先夫マルケッルスの子である小マルケッラを妊娠していた。にもかかわらず、オクタウィアはアントニウスに貞淑な妻として仕え、またユッルスなどアントニウスの子供たちには、自身の子供たちと同様の愛情を注いだ。
紀元前40年から36年にかけ、夫婦はアテナイに邸宅を構え、また一家で各属州を旅した。この間オクタウィアは、ユッルスには異母妹となる2人の娘大アントニア小アントニアの姉妹をもうけている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユッルス・アントニウス」の詳細全文を読む



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