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エフゲニー・ニコラエヴィチ・アクショーノフ(、1924年3月5日 - 2014年8月5日〔訃報:アクショーノフさん90歳=医師「六本木の赤ひげ」 毎日新聞デジタル 2014年8月6日〕)は、日本在住のロシア人医師。専門は外科、特に腹部外科。東京都港区麻布台、飯倉片山の交差点そばに「インターナショナル・クリニック」を開設、在日外国人の診察の他、来日する著名な外国人の滞在中の健康管理などでも知られる医師。英語読みでユージン・アクセノフ(Eugene Aksenoff)とも呼ばれる。 ==経歴== ロシア革命で満州に亡命した白系ロシア人を父として、ドイツ人を母として、満州ハルビン郊外ヤーブロニャ(現在のハルビン市尚志市亜布力鎮)のドイツ系病院で生まれた。無国籍である。 フランス系のカトリック・スクールに在学中、満州視察中の津軽義孝(常陸宮妃華子の父)から気に入られ、津軽の招きで1943年に来日。早稲田大学国際学院(早稲田奉仕園の事業の一環として経営されていた学校。外国人のための大学進学予備校のような役割を担っていた)の予科で日本語を学び、1944年、津軽の勧めで東京慈恵会医科大学専門部に入学。戦時中は陸軍省宣伝部に乞われて戦意高揚映画にスパイ役で出演し、『重慶から来た男』『マレーの虎』『ハリマオ』などの映画では準主役を演じていたという〔『六本木の赤ひげ』p.86〕。インターン時代には日比谷の有楽座で『黒船物語』に出演し、タウンゼンド・ハリス役で榎本健一や古川緑波と共演したこともある〔『六本木の赤ひげ』p.87-88〕。 1948年、東京慈恵会医科大学専門部卒業。1951年、医師国家試験に合格。戦後は占領軍司令部通訳や米軍陸軍病院病院などで勤務。通訳の仕事では、元外相の松岡洋右や松井石根、白鳥敏夫、大川周明に接したこともある。 1953年、六本木でクリニック開業。1956年、現在地の麻布台にクリニックを移転。 1945年の満州国崩壊以後、現在まで無国籍を通している。英語、中国語、ロシア語、ドイツ語、日本語、現代ギリシャ語の6つの言語を使いこなす。日本の永住権は2000年3月に取得。 インターナショナル・クリニックでの在日外国人や外国人旅行者に対する診療活動で、1998年に第32回吉川英治文化賞を、2007年に社会貢献支援財団の社会貢献者表彰を受ける。WHOの指定医でもある。 このクリニックは日本の健康保険の適用外で、患者は原則、外国人のみである。クリニックには、アクショーノフの他に2人の医師と日本人の看護師がおり、患者にはマイケル・ジャクソン、マドンナ、ジャック・シラク、ジョン・ウェイン、ジェラルド・フォード、エドウィン・ライシャワーなどがいる。 家庭面では、日本人の妻との間に息子が一人いる。 2014年8月5日に永眠〔「六本木の赤ひげ」アクショーノフ医師死去、9日に告別式! - 飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」 〕。通夜パニヒダと埋葬式は、生前足繁く通っていた〔今や日本のメディカル・ブランド | ロシアNOW 〕ニコライ堂で行われた〔アクショーノフ医師の通夜に約120人が参列! - 飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エフゲニー・アクショーノフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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