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ユージン・ムーア・ジュニア : ウィキペディア日本語版
ユージン・ムーア

ユージン・ムーア(, 生没年不詳)は、アメリカ合衆国映画監督俳優である〔Eugene Moore, Internet Movie Database , 2010年5月17日閲覧。〕。W・ユージン・ムーア・ジュニア()、 W・ユージン・ムーア()、 ユージン・ムーア・ジュニア()とも名乗った〔。
== 人物・来歴 ==
生年生地不明。19世紀生まれである〔。
興行師エドウィン・タンハウザーの友人であったことから、俳優として舞台に立つようになる〔Eugene Moore, Allmovie , 2010年5月17日閲覧。〕。1909年(明治42年)にタンハウザーがニューヨーク市に設立した映画会社タンハウザー・カンパニーで1912年(明治45年)から出演を始める〔。記録に残る最初の作品は、1913年(大正2年)に同社が製作、ヴィクトリー・ベイトマンと共演したムーアの主演作 ''A Guilty Conscience'' である〔。同年、監督としてもデビューし、ミグノン・アンダーソンモード・フィーリー、監督になる前のジェームズ・クルーズらの出演する短篇映画を量産し、また出演もした〔。
1916年(大正5年)、 ''Where Wives Win'' に出演したのを最後に俳優業から撤退、監督業に専念した〔。
1917年(大正6年)、タンハウザーを退社、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍、ヴァイオレット・マクミランの主演作『この姉妹』を監督する〔。1919年(大正8年)、ユニヴァーサルの子会社・ブルーバード映画で、エディス・ロバーツ主演のサイレント映画『南部の娘』を監督〔、同作は日本でも公開されたが〔『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.〕、ユニヴァーサルで上記2作のみを撮った以降の記録は不明である〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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