|
本稿は、ユーロビジョン・ソング・コンテストの参加国一覧である。 1956年にこの催しが始まって以来、これまでに51箇国が大会に参加してきている。このうち、25箇国が優勝を経験している。大会は欧州放送連合(EBU)の主催により、加盟放送局と共同で毎年開催されてきている。各国の放送局は自国代表の楽曲とアーティストを選出して大会に送り込み、大会を自国向けに放送し、他国の参加者に票を投ずることで優勝者が決定される。 大会への参加は、全てのEBU加盟放送局に対して開かれている。EBUの加盟局となれるのは、欧州放送地域(European Broadcasting Area)の域内にあるか、欧州評議会の加盟国に属する放送局とされている〔European Broadcasting Union (22 February 2006). Membership conditions . Retrieved on 2 February 2008.〕。大会名称には「ユーロ」の語が含まれているが、地理学的にヨーロッパに属する必要はなく、また欧州連合とも直接の関連はない。実際に、地理学的には西南アジアに属するイスラエルやキプロス、アルメニアはそれぞれ1973年大会、1981年大会、2006年大会より、北アフリカに属するモロッコは1980年大会で大会に参加しており、トルコ(1975年大会以降)、ロシア(1994年大会以降)、グルジア(2007年大会以降)、アゼルバイジャン(2008年大会以降)などの大州をまたいだ国々も参加している。このほかに西アジアのレバノンと北アフリカのチュニジアが大会参加を模索したことがある。2009年には、ペルシア湾の国カタールが2011年の大会参加への興味を示している。 参加国の数は急速に増加を続け、1956年には7箇国であったものが1980年代の末には20箇国以上に膨れ上がった。参加する国の数が増えるにしたがって、大会をより多くの国に開かれたものとするための予選や参加制限が導入されるようになった。1993年大会では、初めて大会への参加を試みる旧東側からの参加国に対しては予選として、クヴァリフィカツィヤ・ザ・ミルストリート(ミルストリートへの道)が導入された〔ESCtoday.com. Eurovision Song Contest 1993 . Retrieved on 2 February 2008.〕。1994年以降は、参加制限が導入されるようになり、大会順位で最下位から6箇国は翌年の大会には参加できなくなった〔O'Connor, John Kennedy (2005). ''The Eurovision Song Contest 50 Years The Official History''. London: Carlton Books Limited. ISBN 1-84442-586-X.〕。1996年のルールでは、参加する29箇国全てが参加曲のオーディオテープを提出し、各国の審査員による審査で上位22箇国となったもののみが本大会に参加できる制度をとった。大会の主催国であったノルウェーは審査員投票で落選し、本大会に進むことはできなかった〔ESCtoday.com. Eurovision Song Contest 1996 . Retrieved on 2 February 2008.〕。1997年から2001年までは、過去5年間の大会成績が下位であった国々は参加できない仕組みとなった。このため、国によっては2年以上連続で大会に参加できない可能性もあった〔Eurovision.tv. Eurovision Song Contest 1997 . Retrieved on 2 February 2008.〕。 2001年から2003年には、1994年から1995年と同様の参加制限が設けられた。そして2004年には準決勝が導入された。この時は、前年大会で上位10箇国に入った国々は、欧州放送連合への資金拠出額が大きい「Big 4」(フランス、スペイン、ドイツ、イギリス)と共に、自動的に決勝進出となることが保障された。このほかに10箇国が準決勝を経て決勝に進み、決勝には合計24箇国が参加する方式が採られた〔BBC News (12 May 2004). Eurovision finalists chosen . Retrieved on 2 February 2008.〕。2008年からは準決勝が2つに分けて行われるようになり、主催国と「Big 4」以外はすべて準決勝からの参加となった〔European Broadcasting Union (1 October 2007). Two semi-finals Eurovision Song Contest 2008 . Retrieved on 2 February 2008.〕。 ドイツやイギリスのような国々は全大会に参加しており、参加回数が非常に多い反面、モロッコは1回しか参加していない。チュニジアとレバノンは参加を模索していたが断念し、実際には参加したことはない。リヒテンシュタインには欧州放送連合に加盟する放送局がないため、1976年に参加を試みたが失敗に終わっている〔。 == 参加国 == 以下に掲げる表は、過去に1回以上大会に参加したことのある国の一覧である。網掛けとなっている国は大会への参加を中止している国である。モロッコは1980年大会のみ参加している。ルクセンブルクは、初回大会に参加した7箇国の一つであるが、1993年以降大会には参加していない。イタリアは1997年以降大会に参加していない。イタリア放送協会(RAI)は大会参加に必要な資金や才能ある人材を、サンレモ音楽祭に集中させることを選んでいる〔ESCtoday.com (27 November 2007). What more does Italy need to return? . Retrieved on 9 February 2008.〕。スロバキアは1994年から1998年まで参加した後、長年にわたる休止状態にあったが、2009年大会で復帰した〔Victor Hondal (24 September 2008. Slovakia returns to Eurovision in 2009 . ESCtoday.com. Retrieved on 24 September 2008.〕。モナコは20年以上におよぶ休止を脱して2004年に大会に復帰したが、その後3年連続での準決勝敗退を喫し、再度不参加となった〔Gylleneskor.se (13 December 2006). Monaco drag sig ur Eurovision Song Contest Retrieved on 9 February 2008.〕。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国およびセルビア・モンテネグロはそれぞれ1991年と2006年に解体され、現存しない。1991年のユーゴスラビア崩壊後、1992年にはセルビアとモンテネグロのみから成るユーゴスラビア連邦共和国として大会に参加しており、これがユーゴスラビアとしての最後の参加となった。セルビアとモンテネグロは2007年からはそれぞれ独立国として個別に大会に参加している〔Ian Taylor (14 May 2007). From pariah state to kitsch victory: how a Balkan ballad showed Europe a new Serbia . ''The Guardian''. Retrieved on 9 February 2008.〕。オーストリアは1年の休止ののちに2007年に復帰したが、2008年から再度休止状態となっている。オーストリア放送協会(ORF)のエドガー・ベーム(Edgar Böhm)は、「2007年大会への参加で十分にわかった。楽曲の質ではなく、出身国によって結果が決まるのだということを。」と述べている〔ESCtoday.com (20 November 2007). Austria will not go to Belgrade . Retrieved on 9 February 2008.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユーロビジョン・ソング・コンテストの参加国一覧」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|