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ヨネ原人 : ウィキペディア日本語版
気仙沼二郎[けせん ぬまじろう]

気仙 沼二郎(けせん ぬまじろう、1972年4月24日 - )は、日本の男性プロレスラー宮城県気仙沼市出身。宮城県気仙沼高等学校卒。みちのくプロレス所属、レスラー兼取締役営業部長。
みちのくプロレス初期に活躍したヨネ原人リングネームでも知られている。
現在のリングネームは気仙沼二郎
== 来歴 ==
みちのくプロレスの旗揚げメンバーのひとりで、1992年のみちのくプロレスプレ旗揚げ戦で、「米河 彰大(よねかわ あきひろ)」のリングネームでデビュー。その後、過去からタイムスリップしてきた原人レスラー ヨネ原人と してからブレイクした。
当時のアングルとしては、過去からきた原人の他、原人の魂が米河に憑依したなどと言われていた。
「クワッパ!」の雄叫びとビーフ・ウェリントンとの試合は名物となり、L字台車に乗せられ引き回されたあげく壁に激突させられ、そのまま両者リングアウト(回数は3桁を超える)というのがお決まりの展開だった。宮古市での試合後行方不明となり、そのまま太平洋を泳いでメキシコにたどり着いたこともある(実際は単なるメキシコ遠征)。なお、「メキシコに滞在したことでスペイン語を少し修得した」という設定がつけられ、それまで行っていなかったインタビュー等もスペイン語で答えるようになる。さらには「日本語も少し修得」し、西和辞典を片手に日本語とスペイン語を混ぜてコメントするようになる。その際は身をスーツにまとった「スーパーヨネ現代人」となる。
頭部の負傷により1度引退した後、カムバックしつぼ原人との原人コントラ原人(最後はジャンケン勝負)で敗れ再び姿を消したが、ギミックを変え、デビュー曲「海の魂」をひっさげて演歌歌手として、現在のリングネーム「気仙 沼二郎」でカムバックした。
カムバック後は「みちのくプロレス若草杯」優勝をはじめ、ザ・グレート・サスケ新崎人生とのトリオで出場した「みちのくトリオリーグ」の優勝など徐々に実力を発揮。その後、南野たけし、マンゴー福田、パイナップル華井と「気仙沼二郎とロス・サルセロス・ハポネセス」というユニットを結成。連戦連勝を続ける。
2005年7月9日の青森産業会館興行で、気仙沼二郎と同じく入場時に歌を歌う佐藤秀佐藤恵の「セーラーボーイズ」との、負けた方が入場時に歌を歌うのを禁止される「歌コントラ歌」というコントラ・マッチを行い勝利。歌を歌いながらの入場を維持している。
2005年12月9日に行われた、インディー7団体が参加した週刊ゴング主催のインディーサミットでは、スペル・デルフィン新崎人生TAKAみちのく関本大介柿本大地火野裕士組の試合に、ヨネ原人のギミックを一夜限り復活させて愚乱・浪花とともに登場。1994年以来約11年ぶりのデルフィン軍団集結を演出した。
2006年12月31日のインディーサミットでは、佐々木貴アブドーラ小林と組み、葛西純"黒天使"沼澤邪鬼シャドウWXとの蛍光灯6人タッグデスマッチにエントリー。血まみれ姿になりながらも、途中からはコスチュームを脱いでふんどし姿になって奮闘。試合には敗れたものの、最後は「海の魂」を血まみれのまま熱唱して締めた。
2009年7月、体調不良から検査を行うと『糖尿病』と診断されたため治療入院(14日~27日退院)を発表。出場予定だった「鉄人リーグ」は開催前に欠場を発表した。
2012年6月、みちのく後楽園大会にてウルティモドラゴンとの敗者改名マッチにて敗戦。ウルティモからの提案でイタリアの演歌歌手「ケッセン・ヌーマ・ジローラモ」に改名することになる。なお、タレントの「パンツェッタ・ジローラモ」からはウルティモ自身が承諾を得ている。
7月、ウルティモ・ドラゴンの独断により、「気仙・沼ジローラモ」に再改名。
2013年12月、ウルティモ・ドラゴンがタッグ解消を宣言し、翌年より「気仙沼二郎」へ戻すことになった。
2015年5月5日の矢巾町民総合体育館でバラモン・シュウを破り、東北ジュニアヘビー級王座を奪取した〔「試合リポート みちのく5・5矢巾」、『週刊プロレス』No.1792、ベースボール・マガジン社、平成27年5月27日号(5月13日発行)、94-95頁、2015年。〕。東北ジュニア4度目の挑戦、デビュー23年目で初のシングル王座獲得となり、マイクで「浪花、見てるか。やったぞ、オレ」と絶叫した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「気仙沼二郎」の詳細全文を読む



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