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ヨハン・ゲオルク・ジーゲスベック : ウィキペディア日本語版
ヨハン・ゲオルク・ジーゲスベック
ヨハン・ゲオルク・ジーゲスベック(Johann Georg Siegesbeck、1686年3月22日 - 1755年1月3日)は、ドイツ医師植物学者である。サンクトペテルブルク科学アカデミーの植物学の教授を務め、1735年からサンクトペテルブルクの植物園で働いた。リンネの植物分類法を「みだらな分類法」であると批判したエピソードで知られる。
==略歴==
マクデブルクで生まれた。ヴィッテンベルク大学医学を学んだ。ヘルムシュテッドで医者を開業した後、ヘルムシュテット大学の教授、ローレンツ・ハイスターの推薦でロシアで医師として働くことになった。1735年にサンクトペテルブルクに移り、病院の医師として働いた。サンクトペテルブルクの植物園で働き多くの植物学の論文を書いた。
植物の生殖器であるおしべの数を基準に、植物を分類するリンネの分類法を、不道徳とかみだらであると批判したことで知られる〔 Zitiert nach Karl Mägdefrau S. 71.〕。ジーゲスベックはその地位を利用して、ロシアやシベリアの植物がリンネに渡るのを妨害した。この批判を不愉快に思ったリンネはキク科の雑草、''Sigesbeckia''(和名、メナモミ属)にジーゲスベックの名前をつけたとされる〔Carl von Linné: ''Critica Botanica''. Leiden 1737, S. 94〕〔Carl von Linné: ''Genera Plantarum''. Leiden 1742, S. 411〕。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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