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ヨハン・アレクサンダー・サンタナ(Johan Alexander Santana, 1979年3月13日 - )は、ベネズエラ・ボリバル共和国・メリダ州トバル出身のプロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。 とにサイ・ヤング賞を受賞。いずれも満票での選出であり、同賞を満票で複数回受賞した史上5人目の選手となっている〔過去の4選手はサンディー・コーファックス、グレッグ・マダックス、ロジャー・クレメンス、ペドロ・マルティネス。〕。00年代のMLBを代表する先発投手の一人〔Mike Bauman, "Yanks wait for the best to show their best / Unmatched pounding of Santana proves club's potential ," ''MLB.com'', June 14, 2009. 2009年10月18日閲覧。〕〔李啓充 「ヨハン・サンタナ移籍 「売り時」を見誤ったツインズ新任GM 」 『Number Web』、2008年2月6日。2009年10月18日閲覧。〕。 == 経歴 == === プロ入り前 === 1979年3月13日、ベネズエラのメリダ州トバルで誕生。同国は野球が盛んな国であるが、トバルはプロの野球選手を出したことがない町だった〔Jayson Stark, "Summit could be just the start for Santana ," ''ESPN.com'', March 15, 2005. 2009年10月18日閲覧。〕。幼少期はサッカーや野球に親しむが、地元のアマチュアチームで遊撃手をしていた父ヘススに憧れ、11歳のころに地元リトルリーグのトライアウトを受験する〔Mel Antonen, USA TODAY, "Santana leaves 'em fanning ," ''USATODAY.com'', July 26, 2004. 2009年10月18日閲覧。〕。父親の右利き用グラブを使って遊撃手としてプレイしていたサンタナだが、コーチに左利きであることを見抜かれると、外野手(中堅手)へ転向した〔SLUGGER 「ツインズが育てた無名の奪三振王 ヨハン・サンタナ」 『月刊スラッガー』2004年11月号、日本スポーツ企画出版社、2004年、雑誌15509-11、26-29頁。〕。 、サンタナは15-16歳クラスの全国大会に一塁手兼中堅手として出場〔。このとき、ヒューストン・アストロズのスカウトを務めていたアンドレス・レイナーがサンタナの強肩ぶりに目をつける〔Jack Curry, "Scout Listens to His Instincts, Not to His Boss, and Uncovers a Star ," ''New York Times'', January 31, 2008. 2009年10月18日閲覧。〕。当時のMLBは選手会によるストライキの最中だったため、予算を凍結していた球団はトバルへの旅費すら出さない姿勢でいたが、何度も何度も説得を試みるレイナーの熱意に最後は折れ、GMのボブ・ワトソンが旅費を自費で用意した〔〔〔。レイナーはトバルへ赴き、サンタナと交渉。1月、サンタナはカラボボ州バレンシアにあるアストロズのアカデミーに送り込まれ、そこで3か月を過ごす〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨハン・サンタナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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