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ヨハン・ラッテンフーバー : ウィキペディア日本語版 | ヨハン・ラッテンフーバー
ヨハン・ラッテンフーバー(Johann Rattenhuber, 1897年4月30日 - 1957年6月30日)はアドルフ・ヒトラーの個人警察隊RSDの指揮官、親衛隊中将。 == 来歴 ==
=== RSD指揮官 === 1897年にミュンヘン郊外ので生まれる。第一次世界大戦中はバイエルン軍第16歩兵連隊、次いで第13歩兵連隊に所属し、戦後はドイツ義勇軍に参加した。1920年にバイロイトの秩序警察に奉職、1933年にバイエルン州警察長官ハインリヒ・ヒムラーの副官となる。3月15日、ベルリンにてアドルフ・ヒトラーの個人警護部隊を立ち上げる任務を受け、3月15日に「Führerschutzkommando」を立ち上げた〔Joachimsthaler (1999), p. 288〕。この部隊はヒトラーだけではなく、ナチス・ドイツの要人警護も担当したため、1935年8月1日に「Reichssicherheitsdienst」(RSD)と改名された〔Hoffmann (2000), p. 36〕。ラッテンフーバーは一貫してヒトラー警護の任務に就き、ヴォルフスシャンツェを始めとする総統大本営や総統官邸の警備を行った。 1942年1月、ヒトラーが夏に視察する予定のウクライナ・ヴィーンヌィツャを訪れて現地の親衛隊幹部と会談し、ヒトラーが視察に訪れる前にユダヤ人を一掃するように指示した。これを受けた親衛隊少佐フリードリヒ・シュミットは1月10日に227人のユダヤ人を殺害し、7月のヒトラー到着前日に再びユダヤ人を殺害している。
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