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ヨークタウンの戦い(Battle of Yorktown)は、1781年に起こったアメリカ独立戦争を事実上終結させた決定的な戦闘。 バージニア植民地東岸のグレートブリテン王国(イギリス)軍最終拠点であったヨークタウンにて、米仏連合軍がチャールズ・コーンウォリス率いるイギリス軍約7,000を包囲、降伏させた。この戦いによって、アメリカ独立戦争における植民地軍の勝利は確定し、独立戦争は事実上の終結を見た。 == 背景 == 1781年5月22日、フランス軍のロシャンボー将軍が大陸軍のワシントン将軍と会談した。イギリス軍に対する作戦を練ったのだ。彼らはイギリス軍に占拠されているニューヨークを奪回する作戦を考えていた。ニューヨークのイギリス軍は総司令官ヘンリー・クリントン指揮下の10,000名だった。一方で、バージニアにいたラファイエット将軍から報告があった。それによると、イギリス軍(コーンウォリス将軍)はヨークタウンで防御的な戦術を取ろうとしていた。ヨークタウンはバージニアのヨーク川傍にある。南部戦線を指揮するコーンウォリスはかつて広い範囲を占領していた。だがこの2年間にその戦力を漸減させた。残る兵力は7,000人になっていた。コーンウォリスは、ヨークタウンに戻って物資と増援が来るのを待つ体制を強いられていた。大陸軍のナサニエル・グリーン将軍による焦らし戦法(Fabian strategy)だった。ヨークタウンではイギリス海軍の支援が予定されていた。 1781年7月19日、ワシントン将軍はニューヨークのドブスフェリーに野営していた。コーンウォリスの状況を聞いて、ワシントン将軍は次のように記録している。「私の意見では、この状況下では2つのポイントに十分な戦力をつぎ込むべきだろう。1つはニューヨークに隣接する地域に大陸軍と民兵を、残りの大陸軍とフランス軍はバージニアへ」 1781年8月14日、ワシントン将軍は、フランス軍の艦隊がチェサピーク湾に向かっているとの知らせを受けた。西インド諸島にいたフランス軍のド・グラス提督からの知らせだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨークタウンの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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