|
第3代ヨーク公リチャード・プランタジネット(Richard Plantagenet, 3rd Duke of York, 1411年9月21日 - 1460年12月30日)は、15世紀イングランドの貴族で軍人である。プランタジネット家の血を引く王室の一員であり、百年戦争末期のフランス戦場では軍司令官として、ヘンリー6世の精神錯乱期には摂政として、ランカスター朝に仕えた。 後にリチャードは王位を求めてヘンリー6世に反旗を翻し、これを契機に薔薇戦争が勃発した。ノーサンプトンの戦いでランカスター派を破ったリチャードはヘンリー6世に次期王位継承者に指名させるまでに至ったが、ウェイクフィールドの戦いで敗死した。自身は国王になれなかったが、息子のうちエドワード4世とリチャード3世がそれぞれ国王になった。 == 家系 == ケンブリッジ伯リチャード・オブ・コニスバラとアン・ドゥ・モーティマーの息子として生まれた。母はリチャードが生まれた時かその直後に亡くなっている。 リチャードの父方の家系を見ると、祖父母はヨーク公エドムンド・オブ・ラングリーとイザベラ・オブ・カスティルである。祖父はイングランド国王エドワード3世とフィリッパ・オブ・エノーの四男、祖母はカスティーリャ王ペドロ1世とマリア・デ・パディーリャの娘であった。 次に母方を見ると、祖父母は第4代マーチ伯ロジャー・モーティマーとエレノア・ドゥ・ホランドである。 祖父は第3代マーチ伯エドマンド・モーティマーとフィリッパ・オブ・クラレンスの息子であり、リチャード2世によって王位継承者に指名されていた人物である。祖母はケント伯トマス・ホランドとアリス・フィッツァランの娘であった。 母方の曾祖母フィリッパは、クラレンス公ライオネル・オブ・アントワープとアルスター女伯エリザベス・ドゥ・バローの一人娘である。ライオネルはエドワード3世とフィリッパ・オブ・エノーの次男である。またもう1人の母方の曾祖母アリス・フィッツァランは、アルンデル伯リチャード・フィッツアランとエレノア・オブ・ランカスターの娘である。 家格は伯爵家にまで降下はしているものの、これほどの名門の出である上に両親共にエドワード3世の血を引いているだけに、必然的にリチャードはイングランド貴族の中でも特に上流を歩むことになるはずだった。リチャードが公爵にまで上り詰める身の栄達は、この「出生時の幸運」に他ならなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リチャード・プランタジネット (第3代ヨーク公)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|