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キプリッチ・ヨージェフ(Kiprich József, 1963年9月6日 - )は、ハンガリー・タタバーニャ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 == 経歴 == === 選手時代 === タタバーニャで生まれ1980年に地元クラブのFCタタバーニャでデビュー。タタバーニャでは9シーズンを過ごし1984-85シーズンに18得点を挙げリーグ得点王となったが、タイトルとは縁が無かった。 1989年にオランダのフェイエノールトへ移籍し、同年8月20日のフォルトゥナ・シッタート戦でデビュー。エト・デ・フーイやヨン・デ・ウォルフらと共にリーグ優勝1回(1993年)、カップ優勝4回(1991年、1992年、1994年、1995年)、スーパーカップ優勝1回(1991年)に貢献した。 1995年からはキプロスのAPOELニコシアへ移籍し1995-96シーズンのキプロスリーグでは24試合で25得点を挙げ得点王となりリーグ優勝に貢献。またキプロスカップ決勝ではAEKラルナカを下しリーグと合わせて二冠獲得に貢献した。しかし翌1996-97シーズンは17試合で4得点を記録するに留まり、1997年限りでクラブを退団した。 1997年にオランダのFCデン・ボスで1シーズンの間プレーした後、1998年には自身がデビューしたFCタタバーニャへ復帰。2部リーグへ降格していたクラブを1年で1部リーグ復帰へ導くと、翌1999年からはプレイングマネージャーを務め、2年間過ごした後の2001年に現役を引退した。 ハンガリー代表としては1984年9月26日のオーストリア戦でデビュー。1986年のワールドカップ・メキシコ大会では1次リーグのソビエト連邦戦とカナダ戦の2試合に出場した。その後はハンガリーサッカー界は低迷期に入りFIFAワールドカップやUEFA欧州選手権への出場は成らず。1995年9月6日のトルコ戦を最後に代表から退くまで国際Aマッチ70試合に出場し28得点を挙げた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キプリッチ・ヨージェフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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