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欧州評議会(おうしゅうひょうぎかい、、)は、1949年に設立されたヨーロッパの統合に取り組む国際機関。欧州評議会は法定基準、人権、民主主義の発展、法の支配、文化的協力についてとくに重点を置いている。欧州評議会は47の国が加盟しており、それらの国の人口を合計するとおよそ8億人に上る。欧州評議会は、共通の政策、拘束力のある法令、加盟国数が27しかない欧州連合とは異なる組織である。ただし両者は旗など、共通のシンボルを使用している。 欧州評議会の法定上の機関は、加盟国の外相で構成される閣僚委員会、各国議会の議員で構成される、事務局の長である事務総長である。また欧州評議会内で独立した機関として人権委員が設置されており、加盟国における人権への意識と尊重を促進することを使命としている。 欧州評議会においてもっとも知られている組織体は、人権と基本的自由の保護のための条約(欧州人権条約)を適用する欧州人権裁判所と、ヨーロッパでの医薬品の品質水準を定める欧州薬局方委員会である。欧州評議会は基準、憲章、条約を定めることで、ヨーロッパ諸国の間での協力を構築して統合を進めるという機能を果たしてきた。 欧州評議会はフランスのストラスブールに設置されており、英語とフランス語を公用語としている。閣僚委員会、議員会議、地方自治体会議では作業言語として、ドイツ語、イタリア語、ロシア語が使用されることがある。 == 歴史 == 1945年、第二次世界大戦の終結を迎えたヨーロッパは未曾有の荒廃に苛まれ、人びとは戦争の爪痕に苦しんでいた。一方で政治は新たな課題、とくに諸国民の間における和解という課題に直面していた。このような状況の中で共通の機関を創設するという、長らく構想されていたヨーロッパの統合という考え方が日の目を見ることとなった。 1946年9月19日、チューリッヒ大学においてウィンストン・チャーチルは演説の中でヨーロッパ合衆国の樹立と欧州評議会の創設を唱えた。すでにチャーチルは、1943年にラジオ演説で国民に欧州評議会の創設を訴えていた。1948年5月、デン・ハーグに自由主義陣営から政府・市民の代表者など700人が集まり、チャーチルの司会でハーグ欧州会議が催された。 おもな決定事項として、①欧州議会の即刻召集、②〈国家主権を土台とする欧州経済再建の試みは、すべて成功しない〉ことを強調した欧州経済の統合に関する決議などがある。①について、この大会の常置本部は1948年8月にブリュッセル条約 (1948年)加盟国へ欧州議会の創設を勧告した。 この大会では欧州評議会のあり方についても議論されたが、このとき議論の中で2つの考え方が対立した。ひとつは政府の代表者が集まる旧来型の国際機関とするもので、もうひとつは議員らによる政治フォーラムとするというものであった。結局双方の考え方が取り入れられ、欧州評議会規程において閣僚委員会と議員会議を設置することが決まった。このような政府の代表と議会の代表による機関を設置するというやり方はのちに、欧州諸共同体、北大西洋条約機構、欧州安全保障協力機構でも取り入れられていった。 1949年5月5日にロンドン条約(欧州評議会規程)が署名されたことで欧州評議会の創設が決定された。ロンドン条約にはベルギー、デンマーク、フランス、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、イギリスの10か国が署名した。その後多くの国がこの10か国に続き、とくに1990年代初頭には民主化した中東欧諸国が加盟していった。2007年までに欧州評議会にはベラルーシ、カザフスタン、コソボ〔コソボ地域はセルビアと、独立を主張するコソボ共和国との間での帰属紛争を抱えている。コソボ議会は2008年2月17日に一方的に独立を宣言したが、セルビアはコソボがいまだ自国の主権領域の一部であると主張している。〕、バチカンを除くすべてのヨーロッパ国が加盟している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「欧州評議会」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Council of Europe 」があります。 スポンサード リンク
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