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ライオネル・オブ・アントワープ : ウィキペディア日本語版 | ライオネル・オブ・アントワープ
ライオネル・オブ・アントワープ(Lionel of Antwerp, 1338年11月29日 - 1368年10月7日)は、イングランドの王族。イングランド王エドワード3世と王妃フィリッパ・オブ・エノーの息子で、成人に達した2番目の王子。エドワード黒太子の弟、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント、ヨーク公エドムンド・オブ・ラングリー、グロスター公トマス・オブ・ウッドストックの兄。1362年にクラレンス公に叙された。アントワープ(アントウェルペン)で生まれたため、この名で呼ばれる。 ヨーク朝を創始したエドワード4世はライオネルの弟エドムンドの男系の曾孫であるが、ライオネルの子孫でもあることをもって、ライオネルの弟ジョンの男系子孫であるランカスター家に勝る王位継承権を主張して対抗した。 == 経歴 == 1352年、アルスター伯の娘エリザベス・ドゥ・バロー(1332年 - 1363年)と結婚し、一女フィリッパ(1355年 - 1382年)をもうけた。フィリッパはマーチ伯エドマンド・モーティマーと結婚し、彼女が産んだ孫ロジャー・モーティマーはリチャード2世の王位継承者となっていた。曾孫アンはリチャード・オブ・コニスバラと結婚、第3代ヨーク公リチャード・プランタジネット(エドワード4世の父)の母となった。 エリザベスと死別後、ミラノの僭主ガレアッツォ・ヴィスコンティの娘ヴィオランテ(1353年頃 - 1386年)と1368年に再婚したが、同年に父に先立って死去。ヴィオランテとの間に子は無かった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ライオネル・オブ・アントワープ」の詳細全文を読む
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