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ライオンズDJ : ウィキペディア日本語版
文化放送ライオンズナイター[ぶんかほうそうらいおんずないたー]


文化放送ライオンズナイター』(ぶんかほうそうライオンズナイター、''Lions Nighter'')は、文化放送が平日に放送しているプロ野球ナイトゲーム中継番組である。1982年4月5日から放送開始した。
放送開始から1984年までは、野球中継を軸としたバラエティ番組だった(後述参照)。
2011年は放送30周年を迎えた。
== 概要 ==

=== 1982 - 1984年 『ライオンズDJ』時代 ===
文化放送では、当番組が開始するまでは、関東地区のAMラジオ局で唯一平日のナイター中継の無いラジオ局(土・日曜の『文化放送ホームランナイター』のみ放送)だったが、国土計画(後のコクド)が1978年(昭和53年)に福岡野球(クラウンライターライオンズ)を買収し、本拠地埼玉県所沢市に移転して誕生した、プロ野球球団・西武ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)の意向により、同球団とタイアップした1時間放送の野球バラエティ番組『ライオンズDJ( - ディージェー)』として番組開始となった。なお、1981年(昭和56年)の20時枠に放送されていたバラエティ番組『ザ・マンザイクイズ』の中でも「西武ライオンズ情報」というスポットコーナーがあり、毎日試合の途中経過や選手のコメントを1分程度に収めて紹介しており、この番組誕生の布石の様な形となっている。また、放送初年度には「レオ仲間大集合」というサブタイトルも存在した。
中田秀作坂信一郎アナウンサーが交互にキャスターを務め、一般公募で選ばれた中川充四郎を専属レポーター(リポーター)に据え、ライオンズの応援を全面に打ち出した。ライオンズ攻撃時はライオンズに偏った野球実況放送を展開し、相手チームの攻撃中はライオンズ選手のインタビューやクイズを行う独自の放送で話題になった(1年毎に番組専属のマスコットガールも2名ずつ公募、レギュラー出演していた)。
当初、20時からの1時間番組となったのは、1980年(昭和55年)10月改編で始まった文化放送初の本格的夜ワイド『吉田照美のてるてるワイド』の絡みで、それまで深夜に放送されていた教養番組『大学受験ラジオ講座』『百万人の英語』が18時から19時にかけての枠に移動しており、時間帯の捻出ができなかったのが理由である。
番組スタートの翌年の1983年(昭和58年)に「ライオンズナイターファンクラブ」が作られた。文化放送に入会希望の手紙を出すと会員証が郵送されてきて、西武ライオンズ球場の内野指定席への招待(試合毎に招待する会員番号が番組内で指定され、試合当日に西武球場に来場出来る事が条件)や会員限定イベントへの招待、ライオンズ選手がホームランを打った際、抽選でレオ人形プレゼントなどの特典があり、1992年(平成4年)に終了するまで約27000人が入会していた。同年、実況アナウンサーとは別に球場実況席にライオンズキャスターを置きライオンズ応援色がより強まる。この年から2年間、タレントの藤田亨がキャスターを務めた。1993年以降ファンクラブの活動はなくなったが、現在でも番組では随時ライオンズ戦チケットやライオンズ選手からのプレゼントは行っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「文化放送ライオンズナイター」の詳細全文を読む



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