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ライオンズ・クラシック(''Lions Classic'')は、プロ野球・埼玉西武ライオンズが、球団の歴史を振り返るために行うイベント。2008年から始まり、以後2014年まで毎年開催された。セ・パ交流戦終了後の6月下旬から8月下旬にかけ、本拠地・西武プリンスドームでの試合にて行われる(一部例外もあり)。 == 主な内容 == === 2008年 === ライオンズの福岡県福岡市から埼玉県所沢市への移転30周年を記念して、アサヒビール協賛による「アサヒスーパードライ・ライオンズ・クラシック」として行われた。 * ライオンズ試合時に西鉄ライオンズのユニフォームを着用(ユニフォームのバージョンは1954年(昭和29年)から1959年(昭和34年)に使用されたもの) * またこれらの試合はサブテーマが設けられ、1950年代のライオンズ黄金時代を回顧する企画が豊田泰光の監修で行われた〔当初は稲尾和久も企画に関与していた(出典:綱島理友『綱島プロ野球研究所』登録者向けメールマガジン)が、開催前の2007年に逝去した。〕。 * 埼玉西武ライオンズが西鉄ライオンズのユニフォームを着て試合を行ったのは以下の試合。 * 「第1章・ライオンズの栄光」対千葉ロッテマリーンズ戦(6月28日、29日) * 同カードは6月27日にもあったが、埼玉県営大宮公園野球場で行われたため対象外だった。 * 「第2章・因縁の対決」対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(7月5日、6日) * 「第3章・野武士軍団」対オリックス・バファローズ戦(7月28日、29日) * 「第4章・神様・仏様・稲尾様」対北海道日本ハムファイターズ戦(8月10日-12日) * 「第5章・伝説となった平和台」対福岡ソフトバンクホークス戦(8月19日-21日) * 各章ごとの主旨 * 第1章 1950年代、ライオンズは稲尾、中西、豊田らを擁し4回のリーグ優勝。うち1956-58年には巨人を下して3年連続日本一を達成した。そのライオンズ黄金時代を振り返る * 第2章 1950年代は南海と西鉄がほぼ優勝を分け合う2強時代であったが、特に西鉄・稲尾vs南海・野村の名勝負が有名であった * 第3章 1950年代の主力選手たちをファンは「野武士軍団」と呼び、選手個々のパフォーマンスに魅了された * 第4章 4度の最多勝利や5度の奪三振王など数多くのタイトルを手中に納めたライオンズの偉大なるエースで、2007年(平成19年)に永眠した稲尾をしのぶ * 第5章 1950年(昭和25年)から1978年(昭和53年)までライオンズ(1950年は西鉄クリッパース)が本拠地としていた平和台球場は数多くの名勝負、名場面を繰り広げてきた。1989年(平成元年)から1992年(平成4年)まで同球場を本拠地としていたホークスを迎え撃ち、改めて平和台時代の古きよき時代を振り返る〔1950年は西鉄クリッパースの他、同年の1年のみ存在していた西日本パイレーツも平和台球場を本拠地としていた。また、同年の西鉄クリッパースは当時福岡県筑紫郡春日村(現:春日市)にあった春日原球場と本拠地を併用していた。〕 * 西鉄ライオンズグッズの販売(ライオンズベースボールショップ製、「主な出来事」参照) * 入場者に西鉄ライオンズが紙面を飾った西日本スポーツの復刻新聞記事プレゼント * 西武ドームのLビジョンでの西鉄時代の映像上映 * 西武ドーム前広場での九州特産市の開催 * 講演「ライオンズ史研究室」の開催 * 西武ドーム横の中華料理店「獅子」のイベントルームにて各カードごと1回ずつ、全5回にわたって球団主催で開催された。講師はプロ野球界の復刻ユニフォーム・ブームのきっかけを作った「プロ野球ユニフォーム物語」の著者である綱島理友、第3回、第4回、第5回はスポーツ報知で西鉄担当だった田村大五が参加し対談形式で行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ライオンズ・クラシック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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