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ライデン大学植物園
ライデン大学植物園(Hortus botanicus Leiden)は、オランダ最古の植物園である。 ==歴史== 1575年のライデン大学の創立の当初から、1545年にパドゥア大学植物園が創られたのに始まり、多くの大学が主に医学の教育用に植物園、薬草園を設置していたのにならって、植物園を設けることが望まれていた。1587年に市長に要望が出され、1590年に設置が認められ、1592年に監督として園芸家として名高い、カロルス・クルシウスが招かれ、クルシウスは植物学の名誉教授に任じられた。 クルシウスの指揮のもとに35m×45mの敷地に、多数の植物が植えられ、その中には、神聖ローマ帝国の大使としてオスマン帝国に赴いたオージェ・ギスラン・ド・ブスベックが持ち帰った、チューリップの球根も含まれた。1608年に、さらに400平方メートルほと植物園は拡張され1610年から1612年にかけてフォルシュティウス(Aelius Everhardus Vorstius)が園長を務めていた時代に最初の温室(Orangerie)が作られ、1614年には植物数は941に達した。園長を息子のAdolphus Vorstiusが継ぎ、Adolphus Vorstiusは1635年から1642年の間植物目録を作り、"''Catalogus plantarum Horti Academici Lugduno-Batavi''" のタイトルで1636年と1643年に出版された。最初の温室は小規模なものだったので、1643年に敷地が購入され、Old Orangeryと現在呼ばれる建物が建設された。. 植物園の植物目録は後任のスケイル(Florentius Schuyl)によって続けられ、タバコ、トマト、トウモロコシの栽培が行われ、植物園の評価は高まった。オランダ東インド会社が収集した植物も植物園で栽培された。その後、パウル・ヘルマン(Paul Hermann)、ペーター・ホットン(Peter Hotton)、ヘルマン・ブールハーフェ(Herman Boerhaave)、アドリアーン・ファン・ローエン(Adriaan van Royen)らの有名な医師、植物学者が園長を務めた。ブールハーフェの著書、"''Index plantarum quae in horto Lugduno-Batavo reperiuntur''"(1710)などが有名である。 1990年に日本の植物をヨーロッパに送った、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトを記念した日本庭園(Von Siebold Gedenktuin )が設けられている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ライデン大学植物園」の詳細全文を読む
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