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ライトカラーは日本の競走馬・繁殖牝馬。1989年に行われた第50回優駿牝馬(オークス)の優勝馬である。主戦騎手は田島良保。 ※馬齢は当時の表記(数え年)で統一する。 == 戦績 == 1988年8月6日、函館競馬場の新馬戦で柴田光陽を背にデビュー。7頭立ての7番人気と人気はまったく無かったが、2着に4馬身差をつけて勝ち上がると、続くオープン特別のクローバー賞も制し連勝を飾った。重賞初挑戦となった函館3歳ステークスこそ逃げるサザンビーナスにアタマ差及ばなかったものの、クラシック候補の大器との評価を得た。レース後放牧に出され、休養に入ることとなった。 休み明け初戦となったのは、年が明けてのシンザン記念。笠松から無敗で中央に転入してきたアオミキャップに次ぐ2番人気に推されたが、直線で伸びを欠きファンドリポポの4着。続くエルフィンステークスもシャダイカグラから5馬身差と大きく離された2着に終わり、同世代の牝馬に続けて水をあけられる形となった。この後は、トライアルを回避して桜花賞に直行。鞍上には、柴田の引退に伴い、田島良保を迎えたが、中団のまま8着といいところなく敗れる。続いてトライアルの4歳牝馬特別に出走。距離延長は歓迎材料と見られ2番人気に推されるも、先行して失速。結果は5着と優駿牝馬の優先出走権を獲得するのが精一杯だった。 4歳となってからのレースぶりや、桜花賞から直線で右側にヨレるという悪癖も見せていたことから、本番の優駿牝馬では、桜花賞優勝馬シャダイカグラが一本かぶりの人気を集めるなか、10番人気という評価。関係者さえ勝利は期待していなかった。レースは、最初の1,000メートルの通過タイムが60秒2と淀みの無い流れで展開。ライトカラーはシャダイカグラをマークする形で中団に位置し、距離のロスの無い内々をキープした。直線では右にヨレてもいいように大外に持ち出したが、「信じられないくらいまっすぐに走った」と鞍上の田島が語ったように大一番での集中力を発揮し、粘るシャダイカグラとの追い比べをクビ差制した。騎手、調教師共に初の優駿牝馬制覇だった。 秋は、優駿牝馬での大駆けで燃え尽きたかのようなレースが続いた。始動戦となったサファイヤステークスは、リリーズブーケの5着。1戦使っての上積みが期待されたローズステークスもシャダイカグラの8着と、2戦続けて追い込みが不発で、勝ち馬から大きく離されての敗戦を喫した。牝馬三冠最終戦のエリザベス女王杯は、優駿牝馬を制していながら7番人気に甘んじたが、またも追い込み不発に終わりサンドピアリスの8着と、低評価を覆すことはできなかった。 この後脚部不安を発症し、長期休養を余儀なくされた。復帰戦となったのは翌1990年のスワンステークス。約1年ぶりのレースで12着という結果に終わると、そのまま引退することとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ライトカラー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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