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ライナー・バルツェル : ウィキペディア日本語版
ライナー・バルツェル

ライナー・カンディドゥス・バルツェル(Rainer Candidus Barzel、 1924年6月20日 - 2006年8月26日)は、ドイツ西ドイツ)の政治家1971年 - 1973年キリスト教民主同盟(CDU)党首を務める。その他コンラート・アデナウアー政権およびヘルムート・コール政権でドイツ問題相、ドイツ連邦議会議長(在任期間1983年 - 1984年)を歴任。
== 経歴 ==

=== 政界への道 ===
東プロイセンのブラウンスベルク(現ポーランドヴァルミア=マズールィ県)生まれ。7人兄弟の5番目で、父親は教師、敬虔なカトリック信徒の家だった。父の転勤により少年時代にベルリンに転居、イエズス会系の学校に通う。第二次世界大戦中の1941年ギムナジウムを仮卒業して海軍航空隊に入隊。フレンスブルクノルウェーウクライナなどに駐屯した。とりわけセヴァストポリからの撤退の際は、彼の操縦する飛行機が40人以上の兵士を救った。戦争末期はキールで操縦教官を務め、最終階級は予備役少尉だった。最終駐屯地であるレンツブルクイギリス軍に降伏したが、イギリス軍指揮官が戦時中にレンヅブルク上空で撃墜されたものの住民に匿われたことに報いて寛大な処置をとったため、バルツェルは捕虜収容所に入らずに済んだ。なお戦後の再軍備でドイツ連邦軍が創設された際も、バルツェルは海軍予備役中尉となっている。
終戦直後に婚約者の両親がいるケルンに赴き、(未来の)義理の父親の金銭援助を得てケルン大学法学経済学を学ぶ。1948年に彼女と結婚。1949年に法学博士号を取得。国家司法試験は受けずにノルトライン=ヴェストファーレン州政府に就職した。フランクフルト・アム・マインにある州代表部に勤務し、1953年にボンにある連邦政府の州政府連絡部長。1952年から1955年にはルクセンブルクにおける欧州石炭鉄鋼共同体に関する交渉に加わった。1955年にノルトライン=ヴェストファーレン州首相カール・アルノルトの補佐官兼演説原稿執筆者となるが、翌年アルノルトが州首相の座を追われたため以後はドイツキリスト教民主同盟(CDU)での政治活動に専念するようになった。ただし1973年に弁護士資格を取得している。
バルツェルは本来戦前からのカトリック政党中央党を支持していたが、その再建がかなわないことが明らかになると1954年にドイツキリスト教民主同盟に入党。すぐにノルトライン=ヴェストファーレン州における党執行部委員となった。1957年にドイツ連邦議会議員に初当選。当初はかつての上司カール・アルノルトと共にCDU左派と目されていたが、1958年にアルノルトが死去すると保守派の大物フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスに近い反社会主義の立場をとるようになった。シュトラウスやバルツェルの委員会は西ドイツ国内の容共的な人物450人を「赤書」にリストアップしたが、アメリカ合衆国の反共主義者ジョセフ・マッカーシーを思わせるそのやり方がマスコミに批判されたために公表を控えた。
1960年に党連邦執行部入り。死刑制度復活や、ドイツ社会民主党(SPD)を支持するドイツ労働組合連合(DGB)に対抗する労働組合の設立、そしてCDUのカトリックへの回帰などといったキャンペーンを繰り広げた。1962年にドイツ問題相として第五次コンラート・アデナウアー内閣に初入閣、もっとも若い閣僚となった。首相がルートヴィヒ・エアハルトに代わったのちの1964年に党連邦議会議員団長に就任。1966年の党大会では党首の座を賭けてエアハルト首相と争うが敗北、第一副党首となる。直後に連立相手の自由民主党(FDP)と決裂してエアハルト内閣が倒れ、首相の座を狙える位置につけたが、SPDとの大連立を主張するクルト・ゲオルク・キージンガーの前に敗れた。1969年にキージンガーが首相の座をSPDのヴィリー・ブラントに追われると、現実主義を主張して与党に理解を示すことが度々あり、キージンガー党首やシュトラウスと対立するようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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