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ライヒトトラクトーア : ウィキペディア日本語版
ライヒトトラクトーア

ライヒトトラクトーア(Leichttraktor)またはVK.31とは、ヴァイマル共和国時代のドイツで設計された軽戦車である。Leichttraktorの名称は「軽量トラクター」を意味する。
第一次世界大戦の終了後、ヴェルサイユ条約によりドイツは軍備の開発を制限されたものの、「トラクター」の名前のもとで秘匿された秘密の計画があり、これは装甲軍用車両と火砲の開発を行うものだった。
ドイツは、高度な秘密と安全保障のもとで1922年に調印したラパッロ条約により、ソ連にてこの戦車を試験した。1926年から1933年まで用いられた試験設備はカマ戦車兵学校と呼ばれ、ソビエト連邦のカザン近郊に設けられていた。
この場所はソ連赤軍およびヴァイマル共和国軍のための統合試験場、また戦車訓練場だった。施設のコードネームはカザンおよびマルブランド(Malbrandt)の二つの言葉をとってカマと名付けられていたが、この理由は試験場がカザン近郊にあり、またマルブランド中佐が試験場所を選定するよう任命されたためである。
第二次世界大戦の最初の年、本車は訓練用の戦車として用いられた。
製造はドイツの製造メーカークルップラインメタルが担当し、製造数はそれぞれ3両である。車体は軟鋼板で造られたともされる。289両の発注が行われたものの、新型車輛の設計が進んだことからこの発注は取り消された。構造はエンジンを前方に配し、砲塔を車体の後部に置いているもので、これはLK IIと類似の構成である〔ピーター『世界の戦車』87頁〕。
== 登場作品 ==

* 『World of Tanks』(オンラインゲーム
: ドイツ軽戦車Leichttraktorとして登場。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ライヒトトラクトーア」の詳細全文を読む



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