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ライフ・エクステンション研究所付属永寿総合病院 : ウィキペディア日本語版
ライフ・エクステンション研究所付属永寿総合病院[こうえきざいだんほうじんらいふ えくすてんしょんけんきゅうじょふぞく えいじゅそうごうびょういん]

公益財団法人ライフ・エクステンション研究所 付属永寿総合病院(こうえきざいだんほうじんライフ・エクステンションけんきゅうじょふぞく えいじゅそうごうびょういん)は、東京都台東区にある医療機関公益財団法人ライフ・エクステンション研究所が運営する病院である。生活習慣病検診の草分けであり、「活動年齢の延長」を理念に、内科系外科系産科婦人科小児科等の科を有する。
台東区唯一の中核病院である。
== 沿革 ==
医師・倉内喜久雄(1897年12月9日 - 1979年10月3日)により、高齢医学の発展とその普及を目的とする病院として構想された。倉内は日本工業倶楽部会員を通じて賛同を募った。賛同者による社団法人は長寿保持の意味を込めたユニークな名前にしようと「ライフ・エクステンション倶楽部」となった。資金は債券(病床債券、1口30万円、年利6%、元本2年据置の7年満期)を発行して調達し、土地建物は日本水産の本社が丸の内に移転したことにより空きビルとなっていた南稲荷町114番地〔位置は、営団地下鉄銀座線稲荷町駅2番出口を出てすぐ目の前であった。〕(住居表示により現在は元浅草2-11-7)の建物を同社より買収。全面改修して利用する計画を立てたものの、改修費用が7000万円の高額に上ることが判明し、いったんは開院が危ぶまれた。工事については協和銀行などの紹介により地元の日本電設工業が引き受け、1956年の紀元節(2月11日)に開院日を定めて急ピッチの工事が行われた。病院名も長寿保持の意味を込めて「永寿病院」と決まった。
当初の病床数は一般105床、結核55床。診療科は内科外科産婦人科・精密総合検査(人間ドック)。医師の人事は倉内の出身大学である慶應義塾大学医学部に依存する形になった。複式簿記を導入して原価計算を行い、公認会計士監査を受けるなど企業会計の手法を開院時から導入している〔『永寿記念病院十年の歩み』21頁では、複式簿記を導入した病院は永寿病院が日本初であろうと書かれている。〕。のち3月1日に耳鼻咽喉科、6月1日に眼科が加わり、1959年6月17日には交通外傷などの治療に不可欠な整形外科を設置した。
1981年、道路を隔てて隣接する元浅草2丁目7番納豆会館の南側に新館を建設。2002年2月、旧西町小学校跡地に移転した。東京都立台東病院日本私立学校振興・共済事業団下谷病院の廃止により病床や産科医療の一部を失った台東区は、地域医療の担い手としての永寿総合病院を支援している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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