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ライフ・カイサ
ライフ・カイサ(またはレイフ・カイサ、ライフ・カイサー、Leif Kayser、1919年6月13日 - 2001年6月15日 )は、デンマークの作曲家、オルガニスト、カトリック司祭。カトリック教会のためのオルガン、声楽作品などをはじめ、管弦楽や室内楽など幅広い分野にわたって作品を残した。 ==生涯== コペンハーゲンで国会速記者の父のもとに生まれ〔#Dansk Biografisk Leksikon〕、カトリック系の聖クヌーズ学校で学ぶ〔#Dansk Komponist Forening, #Kengen 1991, #Frederiksen 2001, #Garnæs 2007〕。幼いころから音楽に興味を示し、実家で音楽教育を受けるとともに〔#Frederiksen 2001〕、少年合唱団に所属してグレゴリオ聖歌に習熟した〔#Dansk Biografisk Leksikon, #Dansk Komponist Forening, #Kengen 1991, #Frederiksen 2001, #Garnæs 2007〕。また、カイサは司祭のA.メンシンガにオルガニストのクアト・トムセンを紹介され、オルガンを習った〔#Kengen 1991による。ただし、#Dansk Biografisk Leksikonには、メンシンガ自身が教会オルガニストであり、カイサにオルガンを教授したと書かれている。〕。1936年にコペンハーゲンのデンマーク音楽アカデミーに入学し、1941年まで在学した〔#Dansk Komponist Forening〕。アカデミーでは、ポール・ロング=ケラー(オルガンと音楽理論)、ポール・シーアベック(管弦楽法)、ハラルドゥル・シグルソン(ピアノ)、クリスチャン・サンビュー(室内楽)、ルドルフ・シモンセン(音楽史)に師事した〔#Kengen 1991〕。1938年にオルガンの、1939年にピアノの試験に合格したあと〔#Dansk Komponist Forening〕、ストックホルムに留学し、ヒルディング・ルーセンベリ(作曲)とトゥール・マン(指揮)に師事した〔#Kengen 1991, #Garnæs 2007〕。 カイサはアカデミー在学中に作曲を始めた。はやくも1939年2月に、交響曲第1番がヨーテボリでマンの指揮によって初演されて評判を呼び、翌年の夏には交響曲第2番が披露された〔#Garnæs 2007〕。指揮者のエリク・トゥクセンに勧められ、カイサはクリスチャン10世の70歳の誕生日(1940年9月26日)のために、デンマーク国歌による序曲『クリスチャン王は高き帆柱の傍に立ちて』を作曲し〔#Kengen 1991, #Garnæs 2007〕、同月に初めての出版譜として『ヴァイオリン独奏のための7つの小品』を上梓した〔#Garnæs 2007〕。1941年にはピアニストとして初舞台を踏み〔#Dansk Komponist Forening〕、同年の12月にはヨーテボリで指揮者としてもデビューした〔#Kengen 1991〕。 しかし1942年にとつぜん、カイサは音楽活動を中断してカトリック司祭になることを志し、ローマに留学して神学と哲学を学んだ〔#Kengen 1991, #Garnæs 2007〕。1949年に司祭に叙階されてデンマークに戻り、コペンハーゲンの聖アンスガー教会に就いた〔#Kengen 1991, #Garnæs 2007〕。 作曲活動はローマ滞在中から再開しており、1955年にはパリに留学してナディア・ブーランジェに師事した〔#Kengen 1991, #Garnæs 2007〕。1964年に司祭の職を辞し、デンマーク音楽アカデミーで管弦楽法と楽曲分析の教員となって1982年まで勤めた〔#Kengen 1991〕。教え子には作曲家のニルス・ラ・クールがいる〔#La Cour 1977-78〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ライフ・カイサ」の詳細全文を読む
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