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ライブリマウントは日本の競走馬。ダート路線黎明期の強豪で、1995年から始まった中央競馬と地方競馬の交流元年(→日本の競馬を参照)を象徴する馬である。主戦騎手は石橋守で、全31戦中27戦に騎乗した。 地方競馬10勝の母シナノカチドキに、グリーンダンサー(フランス2000ギニー)の半弟ということで輸入された父グリーンマウントを配合して生まれた。馬名は冠名「ライブリ」と父の名の一部「マウント」との組み合わせ。1993年11月14日のダート1400m新馬戦でデビュー、実に10馬身差の圧勝で緒戦を飾る。4戦目の飛梅賞を勝ってオープンクラス入りした後、クラシック出走を目指して芝路線を進むものの結果が出ず、再びダート路線に転向して活路を見出す。 4歳(当時表記)秋から5歳にかけて1994年花園ステークス(1500万円以下条件戦・当時)から1995年マイルチャンピオンシップ南部杯まで7連勝(うち重賞6勝)を達成。ダート路線で一時代を築いた。翌年には第1回ドバイワールドカップに日本調教馬として初めて出走するも6着(優勝馬はシガー)。遠征後は精彩を欠き、以後9戦するも勝利することはできずに引退した。 なおこの馬および同時期に同じくダート戦線でオープン馬となったイブキクラッシュの活躍で、父グリーンマウントは種牡馬廃用の崖っぷちから脱出したというエピソードを持つ。 1995年度JRA賞最優秀ダートホース、NARグランプリ特別表彰馬。 == 引退後 == 1998年より種牡馬となった。ただ活躍馬はホクザンフィールド(兵庫大賞典、兵庫ジュニアグランプリ2着)が目立つ程度で、2003年限りで引退し、6月30日にいかっぷホロシリ乗馬クラブで乗馬に転向、すぐに去勢された。しかし引退直後にミツアキタービン(ダイオライト記念、オグリキャップ記念)が大活躍、引退後には種牡馬入りしており、後継種牡馬を残すことができた。2014年10月からは功労馬繋養展示事業の助成を受け、北海道新ひだか町のオギオギ牧場で過ごしている〔引退名馬 - ライブリマウント 2015年2月27日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ライブリマウント」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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