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ライムンド・デ・ボルゴーニャ(Raimundo de Borgoña, ? - 1107年5月27日)は、のちのカスティーリャ女王ウラカの最初の夫。ブルゴーニュ伯ギヨーム1世の息子で、フランス名はレーモン・ド・ブルゴーニュ(Raymond de Bourgogne)。ガリシア伯、ポルトゥカーレ伯、コインブラ伯。兄に伯位を継いだルノー2世とエティエンヌ1世が、弟にローマ教皇カリストゥス2世が、また姪にフランス王ルイ6世の王妃アデル・ド・サヴォワがいる。 1087年にカスティーリャ王アルフォンソ6世の娘であるウラカと結婚し、1095年にガリシア伯に叙せられた。ウラカとの間には1男1女が生まれた。 * サンチャ(?) * アルフォンソ(1105年 - 1157年) ライムンドが1107年に死去した後、ウラカは2度再婚した。また、アルフォンソ6世に男子が早世していたことから、1109年にウラカが王位を継いだ。ウラカの死後はライムンドとの間の息子アルフォンソ7世が即位し、ボルゴーニャ(ブルゴーニュ)朝を興した。 ポルトゥカーレ及びコインブラ伯の地位は、1096年にアルフォンソ6世の別の女婿であるエンリケ・デ・ボルゴーニャが継承した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ライムンド・デ・ボルゴーニャ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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