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リュラー、リラ、ライアー、ライア(古典ギリシア語:、英・仏:lyre、独:Lyra、Leier、伊:lira)は、弦楽器である。本来は古代ギリシアの竪琴(撥弦楽器)を意味するものであったが、後に形態の近いいくつかの楽器をこの名で呼ぶようになった。 中世ヨーロッパにおいてlyra、 liraなどの名称は、撥弦楽器のみならず似た形状の弓で弾く擦弦楽器にも用いられるようになった。これにはフィドルから発展した一族も含まれる。一方、lyra、 Leierはハーディ・ガーディを指すようになり、Leierはさらに転じて「手回しオルガン(バレル・オルガン)」の意味にまでなった。また別に、(古代ギリシアの)リュラー型の枠を持った打楽器の一種でリラを名乗るもの(ベルリラ)まで現れ、しばしば混乱を招いている。 古代ギリシアにおいて朗読会はリュラーで伴奏された。 == 歴史 == ギリシア神話によると、リラを発明したのは若き神ヘルメースである。彼は大亀の甲羅 (khelus) を動物の皮革とアンテロープの角で覆った。リュラーはアポローン的中庸と平静さの徳と関連づけられた。これはディオニュソス的な笛が恍惚と昂揚と対照をなすものである。 この楽器の実際の起源としては、南欧、西アジア、北アフリカの各地が挙げられている。リュラーを持つ半神(英雄?)譚はリュディア帝国に接する小アジア(現在のトルコ)沿岸部のアイオロス系またはイオニア系のギリシア人植民地にみられる。また、別のギリシア人入植地であるトラキアはオルペウス、ムーサイオス(EN)、タミュリス(EN)のような神話上のリュラーの名人の生まれ故郷であると信じられてきた。 古代ギリシア人がエジプトの箱形弦楽器をキッサルあるいはキタラーと呼んだことから判るように、彼ら自身、ギリシアの楽器との類似性に気づいていた。古代エジプト文明の全盛期は古代ギリシア文明を遡ること5世紀であり、キッサルが生まれたのもその頃であろう。かくして我々は、リュラーの元となる楽器が古代ギリシア文明以前にギリシアの近隣諸国(トラキア、リュディア、エジプト)のいずれかに存在し、そこからギリシアにもたらされたのであると推論することができる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ライアー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lyre 」があります。 スポンサード リンク
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