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ライレー : ウィキペディア日本語版
ライレー

ライレー(''Riley'')は 英国自動車製造メーカー及びそのブランドである。
起源はライレー家が1890年に自転車メーカーを買収し、社名変更して以来のものである。1900年代以降、ライレー家の4人の息子たちが自動車および自動車部品を製造する複数の会社を経営し、小型・中級の高性能車メーカーとして名声を得た。
しかしのち経営に行き詰まり、1938年に大手企業のナッフィールド (''Nuffield Organisation'' )傘下となる。その後BMCへの移行を経てブリティシュ・レイランド (''British Leyland Motor Corporation'' )の一ブランドとなった。今日そのブランド商標権はBMWが所有しているが、この名称での自動車生産は1969年以降途絶えている。
== ライレー自転車会社 ==
英国コヴェントリーで ボニック・サイクル・カンパニー(''Bonnick Cycle Company'' )として創業していた会社を1890年ウィリアム・ライレー・ジュニアが買収し、ライレー・サイクル・カンパニー(''Riley Cycle Company'' )と社名を変更。その後自転車のギアを製造していたスターミー・アーチャー(''Sturmey Archer'' )も買収し、自転車メーカーとしての規模を拡大していった。
機械好きだった息子のパーシー・ライレーは当時まだ10代だったが、遊び半分で出現したばかりの自動車を作り始める。パーシーが作り上げた最初の車は1898年、彼が僅か16歳の時、父親の許可が下りないために内緒で製作したもので、のちに英国自動車産業の町として有名になったコヴェントリーでも最初の自動車だった。
パーシーの製作する車両は1899年にはオートバイから、四輪自転車のプロトタイプにまで発展し、1900年には三輪自動車を販売するまでになった。ただしこの時点ではまだ本格的な自動車会社とはいえなかった。それでも自転車との関連性からオートバイ販売に手を広げるなど、ライレー一家の自動車業界への関わりは深まっていった。
1903年、パーシー・ライレーは同じコヴェントリーでライレー・エンジン・カンパニーを設立。当初はライレーのオートバイ用エンジンの製作を主としていたが、ほどなくして「ライトカー」と呼ばれる小型軽量級の四輪自動車の生産に移行した。V型ツイン搭載のツアラーのプロトタイプを1905年に製作し、この車が一般には最初のライレー製自動車と認定されている。エンジン・カンパニーは翌年拡張、一方1907年に自動車生産に集中することとなって、1911年に自転車生産は終了している。パーシーの道楽から始まった自動車開発が、ビジネスとして軌道に乗り始めたのである。
1912年、ライレー自転車会社はライレー(コヴェントリー)会社と社名を変更した。ウィリアム・ライレーは急速に発展している自動車産業でホイールサプライヤーとなることを決定。脱着容易なセンターノック式のワイヤーホイール開発に取り組んで市場で成功し、業界の先駆者となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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