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ラインバウト・デ・ヴァケイラス : ウィキペディア日本語版
ラインバウト・デ・ヴァケイラス

ラインバウト・デ・ヴァケイラスRaimbaut de Vaqueiras, 活動時期:1180年 - 1207年)は、プロヴァンス語の吟遊詩人トルバドゥール。後半生は騎士。その生涯のほとんどをイタリアの宮廷で費やしたが、〔Amelia E. Van Vleck, ''The Lyric Texts'' p. 33, in ''Handbook of the Troubadours'' (1995), edited by F. R. P. Akehurst and Judith M. Davis.〕それは1203年までで、以後は第4回十字軍に参加した。
==生涯==
その名から、ラインバウトは南フランスのオランジュに近いヴァケラスの出身と思われる。宮廷詩人として活躍し、モンフェラート侯ボニファチオの親しい友でもあった。ボニファチオがアスティアレッサンドリア自治都市に対抗して行動を起こした時には、彼に仕えた。神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世シチリア侵攻に参加。メッシーナの戦いでは、ボニファチオを盾で守りぬいて、その騎士道精神を賞賛された。1204年コンスタンティノポリスの陥落の現場に立ち会い、その後、ボニファチオに随行してテッサロニキに行った。『Epic Letter』と呼ばれる彼の作品は、ラテン帝国初期の政治状況を如実に表した重要なものであるが、途中で唐突に終わっている。おそらく、1207年9月4日ブルガリア帝国の攻撃で、ラインバウトはボニファチオと共に戦死したのではないかと言われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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