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ライン・サンドバーグ(Ryne Dee Sandberg、1959年9月18日 - )は、アメリカ合衆国・ワシントン州スポケーン出身の元プロ野球選手及び監督。ポジションは二塁手。他に遊撃手・三塁手としてのプレー経験がある。右投右打。 ニックネームは"Ryno(ライノ)"。 == 経歴 == 高校時代は野球のほかにバスケットボールやアメリカンフットボールで州代表に選出された〔ナガオ勝司 「祝☆記者投票殿堂入り!/ライン・サンドバーグ&ウェイド・ボッグス」『月刊メジャー・リーグ』2005年3月号、ベースボールマガジン社、2005年、雑誌 08625-3、89 - 90項。〕。ワシントン州立大学のフットボール部からは奨学金が提示されたが、野球好きの両親の影響などで、にフィラデルフィア・フィリーズからドラフト1位(全体20番目)に指名され入団〔。9月2日にメジャーデビュー。ラリー・ボーワの後釜として注目されたが〔、13試合の出場で打率.167に終わった。1月27日にイバン・デヘスースとのトレードでボーワとともにシカゴ・カブスへ移籍〔。 遊撃手から三塁手へ転向し、は開幕からメジャーで出場。最初の32打数で1安打にもかかわらず安定した守備のため、起用され続けた〔。156試合に出場し、打率.271・7本塁打・103得点・32盗塁を記録し、新人王の投票では6位に入った。ロン・セイの加入に伴い、二塁手へ転向。はゴールドグラブ賞を初受賞。以後、まで9年連続で受賞。 身体能力が優れていたにもかかわらず、意図的にゴロを打つことに終始していたサンドバーグに対し、ジム・フライ監督は「カウントが有利な時は、三塁線にファウルを打つつもりでバットを振ってみたらどうだ?」とアドバイスを送った〔。このアドバイスが的中し、にはオールスター初出場を果たし、にかけて10年連続で出場。チームをナ・リーグ東地区優勝に導き、200安打に加え、二塁打・三塁打・本塁打・盗塁がいずれも20以上というメジャー史上初の「THE 200-20-20-20-20 CLUB」に、三塁打と本塁打が1本ずつ足りず、逃したがナ・リーグMVPに選ばれた〔。この記録は2007年、ジミー・ロリンズが達成した。 の日米野球で来日し、ア・リーグのスーパースター、カル・リプケン遊撃手(ボルチモア・オリオールズ)とメジャーでは実現しなかった二遊間を組んだ。 その後も活躍を続け、には本塁打数が30の大台に達し、5月18日にかけてジョー・モーガンの二塁手としての91試合連続無失策のメジャー記録を上回る123試合連続無失策を記録(からにかけてルイス・カスティーヨに抜かれた)。同年、二塁手としてはロジャース・ホーンスビー()、デーブ・ジョンソン()以来史上3人目の40本塁打を記録〔。 3月2日にメジャー史上最高額となる4年総額2,840万ドルで契約延長〔。契約を満了していないにもかかわらず、6月13日に離婚問題のため現役引退〔〔。1年半のブランクを得て現役復帰し、2度目の現役引退。二塁手としての通算277本塁打はメジャー記録であったが、にジェフ・ケントに抜かれた。 現役引退後、にアメリカ野球殿堂入りを果たし、カブス在籍時の背番号『23』が永久欠番となった〔。にカブス傘下A級ピオリア・チーフスの監督に就任。にAA級テネシー・スモーキーズ、にAAA級アイオワ・カブスの監督に昇格。 からフィリーズ傘下AAA級リーハイバレー・アイアンピッグスの監督を務めている。 シーズンよりフィリーズの三塁コーチを務めることが決定した。同年8月16日、チャーリー・マニエル監督が解任されたため、シーズン終了まで監督代行を務める〔http://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/news/20130817-OYT1T00299.htm?from=ylist〕。11月22日、翌シーズンから監督に昇格することが発表された。契約は2016年までの3年契約で、2017年の契約はオプションとなる。 6月26日に成績不振を理由に辞任を発表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ライン・サンドバーグ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ryne Sandberg 」があります。 スポンサード リンク
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