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ラウル・タムード : ウィキペディア日本語版
ラウール・タムード

ラウル・タムード・モンテーロRaúl Tamudo Montero1977年10月19日 - )は、スペインサンタ・クローマ・ダ・グラマネート出身のサッカー選手。元スペイン代表である。ポジションはFW
== 経歴 ==

=== クラブ ===
; RCDエスパニョール
地元のRCDエスパニョールの下部組織出身で、1997年3月にトップチームに昇格した。デポルティーボ・アラベスUEリェイダに計1シーズン半の間レンタル移籍し、1999-2000シーズンにRCDエスパニョールに復帰すると、そのシーズンのコパ・デル・レイでは決勝に進出し、アトレティコ・マドリードのGKトニ・ヒメネスからボールを奪ってゴールを決めた〔Toni se reencuentra con Tamudo El País、2003年1月19日〕。2001年にはスコットランドのレンジャーズFCと契約する寸前まで至ったが〔Keeper in, Tamudo out at Ibrox BBC Sport、2000年10月21日〕、メディカルチェックにひっかかったためにすんでのところで移籍は取りやめられた。移籍話が破談になった直後のUEFAカップグラーツァーAK(オーストリア)戦でハットトリックを達成し、4-0の快勝で勝ち抜けを決めた。2003-04シーズンにはキャリアハイの19得点を挙げた。
2006年1月15日のレアル・ソシエダ戦(1-0)では後半ロスタイムに決勝点を挙げ、RCDエスパニョールでの公式戦通算100得点を達成した〔クラブ記録を狙うタムード UEFA.com、2006年1月17日〕。2006年4月12日に行われたレアル・サラゴサとのコパ・デル・レイ決勝では試合開始2分に先制点を決め、さらにルイス・ガルシアの得点をアシストして優勝に貢献した。2006-07シーズン序盤戦にはプリメーラ・ディビシオン通算100得点を達成した。第37節はFCバルセロナとのバルセロナ・ダービーであったが、このカンプ・ノウでの2得点でプリメーラ・ディビシオン通算112得点に達し、1970年代から1980年代初めに活躍したFWラファ・マラニョンが保持していたRCDエスパニョールの最多得点記録(111得点)を塗り替えた。リーグ戦で2位につけていたFCバルセロナを破ったことにより、首位レアル・マドリードのリーグ優勝を決定づけた。同シーズンのUEFAカップでは7試合に出場して2得点を挙げ、決勝で敗れたセビージャFCに次ぐ準優勝に貢献した。2007-08シーズンと2008-09シーズンは負傷の影響でコンディションを落とし〔Tamudo blow for high-flying Espanyol UEFA.com、2008年1月23日〕〔Tamudo blow leaves Espanyol reeling UEFA.com、2008年12月4日〕、2008-09シーズン中盤戦からはウルグアイ人FWイバン・アロンソにポジションを譲った。しかし、シーズン最終節のマラガCF戦ではハットトリックを達成し、観客からスタンディング・オベーションが贈られた。このハットトリックで、2000-01シーズンから続けていた連続ニ桁得点記録を9シーズンに伸ばした。
2009-10シーズンは度重なる怪我やかつてのチームメイトであるマウリシオ・ポチェッティーノ監督との不仲、契約を巡ってのクラブ首脳陣との対立などで悲惨なシーズンとなった〔Tamudo: "Estoy muy, muy, muy indignado con el club. No merezco el trato recibido" Marca、2009年10月15日〕。冬の移籍期間にアルゼンチン人FW(現・イタリア代表)パブロ・ダニエル・オスヴァルドが加入するとタムードの立場はますます悪くなり、結局リーグ戦6試合に出場して無得点に終わった。2000-01シーズンから2008-09シーズンまで9シーズン連続で達成していた2桁得点は途切れたが、クラブ歴代最多の340試合に出場し、やはりクラブ歴代最多の129得点を挙げた〔週刊リーガ新聞 5月12日 WOWOW、週刊リーガ新聞、2010年5月12日〕。エスタディ・コルネリャ=エル・プラットでのラストゲームとなった2010年5月8日のCAオサスナ戦後にはファンからの声援が止まず、チームメイトに胴上げされて送られた。
; レアル・ソシエダ
2010年8月初頭、4シーズンぶりにプリメーラ・ディビシオン(1部)に復帰したレアル・ソシエダと1年契約を結んだ〔タムードがソシエダに加入 Goal.com、2010年8月1日〕。デビュー戦は2010-11シーズン開幕戦となった8月29日のビジャレアルCF戦で、後半途中にホセバ・ジョレンテとの交代で出場した。9月13日のUDアルメリア戦ではヘディングで移籍後初得点を決め〔タムード、移籍後初ゴールもドロー決着 サッカーキング、2010年9月14日〕、その試合に続くレアル・マドリード戦とCAオサスナ戦でも得点した。
; ラーヨ・バジェカーノ
レアルから契約延長はオファーはなく、1年でチームを去ることとなった。2011年8月25日、昇格組のラーヨ・バジェカーノと1年契約を結んだ〔Vallecano take Tamudo Skysports、2011年8月26日〕。2011-12シーズン最終節となった2012年5月13日のグラナダCF戦で、後半ロスタイムに、チームを残留へと導く先制ゴールを決めた。〔ラージョを残留に導いたタムード、「サッカーは公平だった」 - Goal.com 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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