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ラウル・ディアニュ : ウィキペディア日本語版
ラウル・ディアニュ

ラウル・ディアニュ(Raoul Diagne、1910年11月10日 - 2002年11月12日)は、フランス領ギアナ出身のサッカー選手、サッカー指導者である。フランス代表において最初の黒人選手だった。
セネガル出身で黒人初のフランス国民議会議員となったブレーズ・ディアニュを父に持ち、フランス領ギアナで生まれ育つ。
1930年にフランス本国へ渡り、RCフランス(1932年からはRCパリ)に入団。1940年まで同クラブに所属し、1回のリーグ優勝(1935-36)と3回のカップ優勝(1935-36、1938-39、1939-40)を経験した。ディフェンダーおよびゴールキーパーというふたつの異なるポジションをこなし、そのどちらにおいても秀でていた。
フランス代表では通算18試合に出場。最初の試合は1931年のチェコスロバキアとの親善試合だった。フランスで開催された1938年ワールドカップでは、1回戦のベルギー戦と準々決勝のイタリア戦の2試合に出場した。
引退後はセネガル代表の監督を務めた。セネガルにおいて彼は「セネガルサッカーの父」と考えられている。
== 外部リンク ==

* Raoul Diagne (FFF)
* Raoul Diagne est parti (AFRIC.COM)




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラウル・ディアニュ」の詳細全文を読む



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