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ラウル・ビセンテ・アマリージャ : ウィキペディア日本語版
ラウル・アマリージャ

ラウル・アマリージャ(Raúl Vicente Amarilla Vera、1960年7月19日 - )は、パラグアイ・ルケ出身の元サッカー選手FW)。
パラグアイ、スペイン両方の国籍を持ち、センターフォワードとして、189cm、77kgの身体を活かしたヘディングやポストプレイで活躍し、その長身から付いたニックネームは「バンブ(竹)」。本来の母国であるパラグアイ代表を目指すが サラゴサ在籍時にスペインU-21代表として公式戦に出場していたのがネックとなり、当時の規則でパラグアイ代表としてプレーする事は許されなかったという経緯がある(更にこの頃、国籍をパラグアイのみに絞ったため、スペイン代表への選出資格も無くなっていた)。
1990年にはオリンピア・アスンシオンリベルタドーレス杯制覇に大きく貢献。大会得点王にも輝き、南米年間最優秀選手賞を受賞。この年のトヨタカップが初来日であった。
1993年から日本の横浜フリューゲルスで活躍。1994年シーズンは開幕からゴールを量産して得点王を狙える位置にいたが、シーズン半ばに恥骨結合炎を発症し、そのまま引退に至った。現在は指導者として活躍している。
== エピソード ==

*2000年の武田修宏のパラグアイ移籍は、当時日本で出場機会の減っていた武田に、自国で指導者となったアマリージャが声をかけたことから実現したものであった〔「アナザースカイ」(日本テレビ) 2010年9月3日放映分にて武田談〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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