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ラクバ・シン(Lakva Sim、1972年3月10日 - )は、モンゴル国の元プロボクサー。ウランバートル出身。本名はLkhagva Dugarbaatar()。モンゴル初のプロボクシング世界チャンピオン。第31代WBA世界スーパーフェザー級王者、第56代WBA世界ライト級王者。リングネームをラクバ・拳士(ラクバ・けんし)として日本を拠点にしていた時期もあった。 == 来歴 == アマチュアでは国際大会で数多くのタイトルを獲得し、156戦142勝(119KO・RSC)14敗の成績を残した。 1995年12月28日、プロデビュー。そのデビュー戦でPABAライト級王座獲得。 1996年3月23日、3戦目で今度はPABAスーパーフェザー級王座を獲得し、同団体王座2階級制覇達成。その後、2度の防衛を果たし、1997年1月に王座返上。 1997年2月1日、6戦目で世界初挑戦。WBA世界スーパーフェザー級王者崔龍洙(韓国)に挑戦し、1-2で判定負けで王座獲得ならず。その後、1分を挟み5連勝。 1999年6月27日、2年ぶりの世界再挑戦。前年9月に崔を降してWBA世界スーパーフェザー級王座を獲得した畑山隆則に指名挑戦者として挑戦し、5回TKO勝ち〔ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年、234頁〕。13戦目でモンゴル人初の世界王者となった。 1999年10月31日、初防衛戦で白鍾権(韓国)と対戦し、ダウンを奪うなど優位に試合を進めるが、判定負けを喫し、王座陥落。 デビュー時から韓国を拠点として戦ってきたが、2001年12月、横浜さくらジムへ移籍。リングネームを「ラクバ・拳士」と改め、日本を拠点に戦うようになる。 2002年4月13日、移籍後初めて(通算3度目)の世界挑戦。敵地でヨーサナン・3Kバッテリー(タイ)と空位のWBA世界スーパーフェザー級王座を争うが、12回判定で敗れ王座返り咲きならず〔。 2003年、横浜さくらジムを離れ、拠点を韓国に戻す。 2004年4月10日、アメリカ合衆国・ラスベガスでミゲール・カリスト(パナマ)と空位のWBA世界ライト級王座を争い、5回TKO勝ちで世界2階級制覇を果たしたが、7月17日の初防衛戦でファン・ディアス(米国)に12回判定負けを喫し、王座陥落。 その後、2005年に2試合を戦い現役引退。 同郷の元大相撲力士である旭鷲山と親交があり、旭鷲山がラクバの応援に駆けつけたこともあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラクバ・シン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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