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ラジェンドラ・ビクラム・シャハ : ウィキペディア日本語版
ラジェンドラ・ビクラム・シャハ

ラジェンドラ・ビクラム・シャハ(Rajendra Bikram Shah、1813年12月3日 - 1881年7月10日)は、ネパール王国の第5代君主(在位:1816年 - 1847年)。
==生涯==
1813年12月3日ギルバン・ユッダ・ビクラム・シャハの息子として生まれた〔Nepal 7 〕。
1816年、父王のギルバン・ユッダの死去により、3歳で即位する〔Nepal 7 〕。
1842年、皇太子スレンドラの素行不良を理由にカトマンズで人々が決起し、その統治権停止を要求し、困惑したラジェンドラは第二正妃ラージャ・ラクシュミー・デビーに全権を委任した〔佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.534〕。ここから実に数年にわたる権力闘争が始まったが、王はその間無力な存在であった。
1846年王宮大虐殺事件により実権をジャンガ・バハドゥル・クンワルに奪われ、第二正妃とともにインドに亡命を余儀なくされる〔佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.542〕。クンワルは姓をラナと変え、その子孫は代々宰相としてネパールを支配し、ゴルカ朝1951年までの104年間に渡り実権を失う(ラナ家の支配)〔佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.611〕。
1847年、ジャンガ・バハドゥル打倒の兵をあげたが、その軍勢は打ち破られ、ラジェンドラは逮捕された。その後、彼はバクタプルに投獄され、生涯をそこで過ごした。一時はカトマンズのハヌマン・ドーカ宮殿にもうつされた〔佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.543〕。
1881年7月10日、ラジェンドラはバクタプルで死亡した〔Nepal 7 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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