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ラジオ体操(ラジオたいそう、)は、国民の体力向上と健康の保持や増進を目的とした一般向けの体操のこと。またはその体操用音楽をピアノ伴奏にのせて指導を行うラジオ番組。なお、日本で単に「ラジオ体操」という場合、後述の「ラジオ体操第1」を指すことがある。 == 概要 == ラジオ体操は、1922年4月にはボストンの放送局WGI(:en:WGI (AM))が放送しており〔Donna L. Halper(2009). (2012年7月17日閲覧)〕、1925年までに世界初の商用ラジオ放送局として知られるピッツバーグのKDKA(:en:KDKA (AM))はじめ、ドイツなどでも同様の放送があったという〔p. 35〕。 日本では、1928年8月1日から1か月間、日曜を除く毎朝6:00から、社団法人日本放送協会大阪中央放送局が放送したのが最初であるが、既にあった徒手体操を指導員の号令のみで行い、伴奏はなかった〔pp. 11-12〕。 のちにつながる日本のラジオ体操は、アメリカのメトロポリタン生命保険会社により健康増進・衛生思想の啓蒙を図る目的で考案され、1925年3月31日から広告放送として放送されていたラジオ体操番組 "Setting up exercise" が基となっている。 放送開始に先立つ1923年に保険事業に関する調査のため訪米した逓信省の猪熊貞治簡易保険局監督課長がメトロポリタン生命保険会社のラジオ体操の企画を知り、1925年7月に『逓信協会雑誌』で紹介した。猪熊は1927年8月、簡易保険局の会議において昭和天皇即位を祝う事業としてラジオ体操を提案〔p. 15〕。1928年5月24日に簡易保険局、日本生命保険会社協会、日本放送協会の三者が体操の考案を文部省に委嘱した〔p. 36〕。文部省では体育課長の北豊吉を委員長とし、体育研究所技師の大谷武一などを委員として検討を重ね〔p. 250〕、10月29日に「国民保健体操」の名称で発表、同年11月1日7:00に天皇の御大典記念事業の一環として東京中央放送局で放送を開始した。同局で放送を担当したのはラジオ体操のために採用された元軍人(軍楽隊学長)の江木理一アナウンサー。彼は初回からブリーフパンツ1枚でマイク前で体操していたのであるが「照宮成子内親王もラジオ体操に御執心なり」と聞き及ぶや濃燕尾服に蝶ネクタイを締め、正装に身を包んだ上で放送に臨むようになった。実際の振り付けは郵便局員が全国に周知した。 なお、全国放送は翌1929年2月11日から実施されたことになっているが、大阪中央放送局や名古屋中央放送局では同時刻に独自の体操番組を放送していたことがあり、江木の放送が全国放送として定着した時期は1934年以降である。〔pp. 40-41〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラジオ体操」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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