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ラスカルスズカ : ウィキペディア日本語版
ラスカルスズカ

ラスカルスズカ1996年 - )は日本の元競走馬ブリーダーズ・スタリオン・ステーションで繋養されていた元種牡馬半兄サイレンススズカである。現役時代は兄と違い長距離のレースを得意とし、3000メートル級レースではG1競走2戦を含む4戦1勝2着2回3着1回と安定した成績を残していた。
== 競走馬時代 ==
1999年、デビューは遅く、4歳(現3歳)の6月にデビュー戦を迎えた。鞍上は兄のサイレンススズカの主戦騎手だった武豊である。そしてデビュー戦から3連勝で初の重賞となる第47回神戸新聞杯に挑み、2番人気に支持され3着となり、菊花賞への優先出走権を獲得した。迎えた第60回菊花賞では、武豊が同年のダービー馬のアドマイヤベガに騎乗するため蛯名正義に乗り替わりとなったが、アドマイヤベガを上回る3着となった。続いて出走した第19回ジャパンカップでは、蛯名正義が同年のオークス馬のウメノファイバーに騎乗するため柴田善臣への乗り替わりであったが4番人気に支持され、オープン競走未勝利ながらも5着で入線した。
2000年、ラスカルスズカの鞍上には武豊が戻り、1月の万葉ステークスからの始動となった。万葉ステークスでは単勝1.1倍の1番人気に支持され、初のオープン勝ちを飾った。続く第48回阪神大賞典では昨年の菊花賞で先着を許したナリタトップロードやテイエムオペラオーとの再戦となり、馬券の人気も当馬を含めた3頭に集中した。2番人気に支持されたラスカルスズカはレースでは2着となった。人気の集中した上位3頭の複勝馬券および3頭の組み合わせからなる拡大馬連(ワイド)馬券は、全て1.0倍の元返しであった。続いて第121回天皇賞(春)に出走し、3番人気で出走し、レースでは2着となった。第36回金鯱賞では1番人気に支持されるも、メイショウドトウの前に3着に敗れ、第41回宝塚記念では3番人気に支持されるも5着という結果だった。しかしその後、右前浅屈腱炎を発症し休養することになった。
2001年、復帰戦となったキャピタルステークスでは、再び柴田善臣が騎乗し5番人気だったが6着という結果に終わり、その後の有馬記念は回避することになった。
2002年、第49回日経新春杯では武豊が騎乗し1番人気に支持されるも6着という結果に終わり、京都記念を回避して出走した第76回中山記念では、当日騎乗予定だった武豊が落馬負傷し急遽田中勝春が騎乗し3番人気に支持され、3着となるも脚部不安により長期休養することになる。
2003年、1年ぶりの復帰戦となった第77回中山記念では7番人気で7着に敗れ、次走は初のダートとなった第10回マーチステークスで9番人気で12着という結果に終わり、その後右前脚浅屈腱炎を再発し引退する事になった。翌年よりブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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